SRサイタマノラッパー 


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うーん・・・
さむざむしいね・・・深谷。この映画を見ると、まずそういうことになった。こんなにも殺風景な街なのか、深谷。荒涼とした場所だけ選んでいるのはまちがいない。一番格好いいのはネオンだけが見える夜の国道を流しているシーンなのだ。主人公が元同級生の女の子と会うショッピングセンターだって、救いがないくらいしけた店を選んでいる。近くにもう少しこぎれいなイオンモールくらあるはずだ。しかも冬。 同じ冬の北関東だって『人のセックスを笑うな』の風景はずっとこぎれいで可愛くて、どこか暖かい雰囲気だった。その差はあたりまえで、この映画では主人公IKKUたちがいる町に魅力があってはいけないのだ。
地方都市。主人公は生まれた町で動きが取れない。でも実在の深谷は東京駅から快速で1時間半だ。そこまで閉塞的なんだろうか?幸か不幸か東京で生まれた僕には、けっこうな年になってもいまだにそこのところが実感としてリアルに分からない。このフクヤ(物語の中での町)は、そんなに東京から遠いの?東京駅から1時間半、でもこの町は平板な「郊外」ですらない。 そこが深谷で育った監督の実感なのか、そこが一番のフィクションなのかがなんだか気になった。
この映画、正直言って苦い。笑える人も共感する人も、勇気づけられる同年代の人もいるかもしれないけれど、僕にとっては苦かった。同じ「音楽に見果てぬ夢を追いつづける」映画でも『アンヴィル』よりもっと苦い。なんでだろう。一度は栄光を見た彼らとちがってこの映画の主人公たちには、それこそ「まだ何も始まっていない」からだろうか? 一度はやれたんだ、という支えになる自分もない。しかも始まる前にそれは終わりそうになっているのだ。なにも始まっていないけど、過去はある。ダサく、いけてない組だった中高生時代の自分だ。狭い田舎の町では仲間もそれを知っていて、ヒップホップの世界に入っても、その過去を知っている先輩がいるかぎり、いけてない自分はリセットできない。しかも彼らは文化系というわけですらなく、アホなのだ。
救いはそのことをズバズバと言葉にする元同級生の女の子、千夏(みひろ)。なんというか、主人公たちはあまりにもオッズの悪いところに賭けてしまってるみたいに見えるわけだ。しかも分かっているのか分かってないのか、自己突っ込みの機能は彼らにはない・・・そこを切れ味よく代弁してくれるのが千夏で、しかも可愛いから毒舌が憎々しくならない。その子も、地元ですぐに噂になるような過去を持っていて、そのあたりは古いヒット曲『堕ちた天使』から、おなじみのパターンだ。彼女だけが「外」を知っている。「外」の厳しさがじゅうぶんすぎるくらい身にしみて帰ってきた。だから、同じようにこの町に息苦しさを感じているくせに町にどっぷりつかっている彼らの痛さを指摘できるし、しないでいられないのだ。でもその彼女も地元の狭さに耐えられなくなってそこを去る。
ラストはある意味感動的だけど、同時に痛々しい。とにかく主人公たちはわかりやすい希望がぜんぜん与えられていないのだ。というかけっこうすごいのは、最初から最後まで主人公が成功したというカタルシスはひとつもないのだ。そこが逆に救いなのかもしれない。
エンディングのハッピーなラップになんだかほっとした。このラップは映画全体をフィクションとしてみたメタなのか、一応物語内なのか(・・・な訳ないか。死んだ人がでてきてた)、仲間たちはまた集まって楽しそうにマイクを回している。