戒厳令

<参考>
前回から随分あいてしまった。すみません。ぜんぜん新作を見ていないんです。今回も旧作も旧作、1973年の日本映画です。戦前の政治思想家、北一輝を描いた映画。
この映画、最大の特徴はアヴァンギャルドに近いそのスタイルにある。本当の実験映画は別にして、劇場でかかる商業映画としては相当攻めている。演技・撮影・音楽とも一貫していて、一種時代を超えた「前衛感」がある。時代を超えたといいながら『ウルトラセブン』に感じられる前衛感ともどこか通じるものがある。正直、最初に見たときは60年代の映画かと思った。
脚本は不条理劇で知られる別役実。音楽はJ・ケージに影響を受けたという一柳慧。二人とも十分に自分の仕事をやってのける。ストーリーは時系列に沿って進み、キャラクターもそれなりに合理的に行動するから、基本的には理解しづらさはない。しかし主人公の日常でのさまざまな行動、突然語りだす思想、彼にまとわりつく奇妙な軍人夫婦のあり方など、観客を落ち着かなくさせる要素には事欠かない。音楽は初期のシンセサイザー音が不気味に響きわたり、どこか「ゼアウィルビー・ブラッド』を思い出させる。
そして撮影。これがよくもここまで、と思うほど徹底している。とにかく画面が幾何学的なのだ。戦前の町を舞台にしているから、モダンな都市景観の幾何学ではない。古い土塀や和風建築などのクラシックな風景の中で幾何学的に構成しきっているのだ。人物が普通のショットで撮られることは少なくて、後ろ姿だったり、極端なクローズアップになったり、ガラス越しにゆがんでいたり、コントラストの強い照明で顔が半分つぶれていたり、と人間たちは画面構成の強烈な意志のなかに押し込められている。
一番の特徴は道路や塀や建物の一部などの前景(ピンボケ)で画面の半分以上をつぶして、片隅で人物が演技する画面だ。これはトリミングと同じこと。白や黒の画面のかたすみに人物が動いているウィンドウをレイアウトしたようなものだ。人間が卑小なちまちました物に見える。同時に画面に映り込むものが少なくなるから、どこか現実感が薄い画面になる。軍人たちのシーンを除いていつも人が少なくしんとしている。ただ、ひょっとすると「低予算」というところにこのあたりすべての理由の一つがあるかもしれない。

主演の三國連太郎は、その怪異な容貌で北一輝の怪物的なところを十分に見せ、演技では意外に自己保身的だったり臆病だったり実利的だったりする一面を表現する。
ところで北一輝という人物の評伝がなぜ「戒厳令」なのか。二つ意味があるだろう。一つは映画のクライマックスにもなったニ・二六事件の時に布告された戒厳令。そしてもうひとつはそのずっと前に北が自説の中で説いた戒厳令だ。ニ・二六事件を起こした軍人たちは、北の唱える国家社会主義的な思想書をバイブルとしていた。事件の前、のどかな昼時に北が小学生の息子相手に革命と戒厳令の話をはじめるシーンがある。ひとびとが無秩序から内なる秩序を生み出す機会としての戒厳令。ひとびとはその中に陛下を見出し、感動するかもしれない。そのようにして革命は成就する・・・ここで使われる「戒厳令」は冷酷な政治システムの言葉には聞こえない。もっと甘美でどこか青臭いひびきを持って語られる。北は天皇制の矛盾を自著で指摘し、その解決として戒厳令を利用した一種の革命を説いた。この独白は自説の解説みたいなものだろう。
その後もっと奇妙なシーンがある。寺の塀の前で盲目の傷痍軍人が物乞いをしている。北が彼を詰問すると、軍人は「陛下の許しを得ている」「陛下は私がここに座っていることを知っているし、私がそのことを知っていることも知っている」などと言いだす。北は自分は誰にも許されようとは思っていないと言う。彼は自説を発表して発禁になって以来、警察にマークされていた。しかし軍人はまた言う。「陛下は許しはしない、ただ知っている。許すのを断ることはできても知っていることを断ることはできない」・・・この軍人の役は物乞いの形をかりたメッセンジャーだ。こういうスタイルの民話や神話はよくある。旅の途中でふと出会ったみすぼらしい人間が、主人公に預言を与える。それはつまり神の言葉だ。この「陛下」をめぐる奇妙な対話は、国家元首についての話とは思えない。現人神という神とも違う。まるですべてを知る創造者の神のようだ。北のセリフは無神論者のニヒリストの言葉みたいに聞こえる。
じっさい、この映画での北は、軍人たちが自説を信奉しているという立場をそれなりに快適に利用しているくせに、どこか醒めていて彼らと距離を置いている。自説がフィクショナルなものであることを誰より意識しているみたいなのだ。そしてラストにまた奇妙なシンボルが出てくる。史実通り、ニ・二六事件の理論的指導者とされた北は逮捕され、処刑される。そのシーンで彼がはりつけられるのが、なぜか真っ白い十字架なのだ。そしてラストで彼が吐き出すセリフ。・・・文字通り無神論者であることの告白のようだ。神の世界を民に説きながら自身は無神論者である宗教家。監督・脚本家は北一輝をまるでそんな人間のように描いている。
結論。『善兵衛の前衛好きなら見る価値あり!』