その土曜日、7時58分


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この映画はいわゆる「善人がいない映画」だ。善人がいないスタイルといえば犯罪者たちを格好よく描くピカレスクロマンがある。このブログで取り上げた中では『ユージュアル・サスペクツ』がピカレスクロマンのスタイル。ちょっと違うが『運命じゃない人』はルパン三世タイプの、愛嬌のある悪人たちの群像劇だ。
このタイプの映画の特徴は、よくドライな笑いとセットになっていることだ。しばしばコメディにもなる。非善人という設定は脚本家にとってもいじりやすいし、一方的な被害者がいないから、湿っぽい話にならずに突き放した笑いが生まれる余地がある。最終的には因果応報的な決着に落とし込むこともできる。こういう笑いのテイスト、『パルプ・フィクション』なんてその代表だろう。
この映画も例外じゃない。ストーリーは悲劇と呼んでもいいようなものだけれど、どこか喜劇的な香りが漂っている。目に見えるギャグや滑稽なシーンというより『ショート・カッツ』にあるような、人間たちが必死に生きる生態そのものに滑稽さが見えてしまう、そんな雰囲気の映画だ。
しかし、いわゆるピカレスクロマンとは違う空気感だという気がする。そもそもこの映画の犯罪者たちは確信犯的な、いわば犯罪を楽しんでいるタイプではない。犯罪の発覚をおそれ、罪悪感を感じ、プレッシャーにつぶされそうになる。しかも基本的に家族の物語だ。親と子、兄と弟、夫と妻。それなのに「善人がいない」のだからいやおうなしに苦い。
主人公は二人の兄弟。彼らが犯罪を実行するところから話は始まる。被害者は最も暴力性から遠そうなお婆さん。気の毒な善人かと思われた彼女が予想外の攻撃力を発揮して、そこから話が回りだす。長年連れ添った妻を失って悲嘆にくれる気の毒そのもののお爺さん。しかし彼もまた単なる被害者に収まってはいない。セクシーすぎる兄の妻もまた、セクシー妻ならではの罪を犯す。弟の元妻は罪こそ犯さないが全く好感をもたれない描き方だ。その他夫を失った気の毒な妻と彼女に同情する妹思いの兄も出てくるが、死んだ夫も含めて善人からは遠く離れた人たちだ。
こうしたキャラクターたちがエゴイスティックに立ち回り、兄弟たちを振り回す。そして兄弟は持ち前の愚かさで分かりやすいまでにドツボにはまっていく。より人格的に厚みを持って描かれ、そのためかより悲劇的に走っていくのが兄(フィリップ・シーモア・ホフマン)だ。彼は弟よりは賢いが、中途半端な賢さのせいで次々と失敗を重ねて行く。弟(イーサン・ホーク)はそれにただ巻き込まれて行くように見えるが、その愚行が武器のように、さまざまなダメージを周囲に与えて行く。
この映画の最大の特徴が、時間軸を細かく切って、行ったり来たりする、そして複数目線で同じ出来事を描く、というスタイルだ。つまり『パルプ・フィクション』『運命じゃない人』と共通なのだ。このスタイルの原型の一つがスタンリー・キューブリックの『現ナマに体を張れ』、これも集団犯罪モノだ。というかこれを下敷きにしているから時間軸スタイルは「善人がいない」タイプが多いのかな? とはいえこの映画での「行ったり来たりスタイル」の使い方は、『運命』みたいなパズル的な楽しみや『パルプ』のような時間軸から自由な物語にするためというより、いわば帰納法的な、刑事か検事が犯罪の全体像をさかのぼって捜査し、少しずつ描き出すような、そんな体験を観客にさせるのに役立っている。行ったり来たりしながらも少しずつ物語は前に進み、最後はストレートな時間進行をカットバックで見せる構成に近づいていく。
そこでだんだんと浮かび上がってくるのが父親(アルバート・フィニー)の存在だ。はじめは悲しげな被害者の夫であった彼だが、徐々にこの悲劇の連鎖の元凶であることがほのめかされる。そして最終的には父子の敵対関係というギリシャ神話的な悲劇の物語原型に収斂していく。全体にタイトで、甘ったるいところがない。唯一兄が感情的になるシーンだけ、ちょっと過剰な気がした。
ちなみに邦題は微妙。字面はいいが、口に出して言い辛い。口コミで広がりにくいんじゃないの? 原題はBefore the Devil Knows You're Dead。アイルランドの諺、May you be in heaven half an hour before the devil knows you're dead.(悪魔があなたの死に気付く30分前に天国にあらんことを)から持ってきたそう。本当の意味は知らないが、皮肉な諺だ。つまり大急ぎで天国に逃げこまないと悪魔に地獄に引きずり込まれるぞ、ということだろう。あなたは天国に逃げ込む資格もあるけれど、地獄に引きずり込まれてもおかしくないよ、そもそも殆どの人はそうだよ、ということなんじゃないか。だとすればこの「善人がいない」映画にはぴったりだ。

結論。『ビターな犯罪映画が好きな善兵衛の観客はほぼ楽しめる!』