ボルベール<帰郷>


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ペドロ・アルモドバル監督の今のところの最新作。
前に見た「Talk to Her」は性的なシンボリズムにみちみちた(監督の内面があらわれきった思えるような)濃口の1作だったが、ちょっとそこでおのれを出しすぎたせいか、今回は物語をかたることに徹し、あまりインパクトのきつくない艶笑喜劇風の一品としている。そして作品のできは、一人の女優にたくされ、彼女ペネロペ・クルスはその豊乳をぞんぶんに生かしながら役目を十二分にはたす。その娘役としてなぜかロナウジーニョが出演しているが、たぶん何かの間違いがあったのだろう。
ペネロペ・クルスの役はある意味肝っ玉母さんなわけだが、そうよぶにはあまりに現役感がただよいすぎている。一般的な肝っ玉母さん像における大地母神的などっしり感ではなく、女としての不安定感をそこここでかもしだす。いうまでもなく観客としても、大地母神に画面の中央に居座られても困るわけで(その種の面白さもあるだろうが)、彼女はあらゆるキャラクターを一人で引き受ける。

物語は故郷ラマンチャの、家族の一員としてのライムンダ(ペネロペ・クルスの役名)から始まり、娘が巻き込まれたとんでもないトラブルを解決する肝っ玉母&ちょっとした犯罪者となり、その解決を模索するうちに、ひょんなことからレストランをまかされて細腕繁盛記的なおかみとなり(それにしてもさっきからいやに古くさい言い回しばかり浮かんでくるなあ)、ある秘密をかかえてはっきりしない姉に対する強気の妹となり、とつぜんセクシーな歌姫となり、ふたたびトラブル解決におもむく強い母となり、最終的に過去に傷をおった娘として「帰郷」する。彼女のまわりにいる者たちはそれに比べるとシンプルなキャラクターで、また全員女たちである。アルモドバルの映画ではあたりまえのことなんだが、男たちはががんぼのように存在感がない。

この物語は男性による家庭内の性的虐待が根底にあって、それが宿命のように世代を越えて繰り返される。女たちは苦悩し、行動せざるをえなくなる。そのやむにやまれない行動がストーリーになっているのだ。ほんらい苦悩にみちた世界なのだけれど、そこに美しい主人公たちがいて、元気よくおしゃべりをしながら連帯する周囲の女たちがいて、楽天的な、笑いのある世界として描き出されている。
だからこの世界では男はわざわいをもたらす存在か、それ以外はそえものとして画面の周囲をうろうろしているだけだ。これが男の立場で描くなると、『Talk to Her』のような究極の「弱者としての男」像になる。これがこの監督のジャンル、立ち位置なのだろう。アルモドバルは自分の幼少期の人生の師は、母と、いつも周囲にいたたくましい女たちだけだったんだといっている。

画面は例によっていかにも濃い感じの赤がテーマカラーになっている。映像は最近デジタル画面に見慣れすぎたせいかどことなく古臭くみえてしまうけれど、この物語にはあっている。

結論。『善兵衛が(ペネロペ好きだったら)堪能!』