バニシング・ポイント

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD7339/
http://en.wikipedia.org/wiki/Vanishing_Point(英語wiki)


デス・プルーフで、カーアクションにケチをつけながら、実は元ネタのひとつであるこれは見ていなかった。この詰めのあまさが善兵衛スタイル。
というわけで、この作品、まさに全編これダッジ・チャレンジャー'70が疾走する映画で、その割りきりが映画を成功に導いている。金曜の夜、デンバーで車を受取った陸送屋の主人公が、なぜか土曜の3時にサンフランシスコに到着すると決めていて、そのために爆走を開始し、あとは警官や素人ドライバーなどと絡みながらラストまでひたすら走るというはなし。矛盾や説明不足のシーンは数多く、突っ込みどころが多いことでも有名だし、そのあたりが不条理感をたかめてカルトなふんいきにもなっている。

カーアクションが主体の映画はえてしてお馬鹿映画になりがちだけれど、この映画のお馬鹿指数は低めだ。時代性のせいかいわゆるアメリカン・ニューシネマのひとつとして語られることもある。トッピングとしてヒッピーカルチャー、ドラッグ、ポップミュージック、ブラックカルチャー、人種のあつれき、いつも間抜けな悪役として描かれる警察・・・などその香りのぷんぷんする要素は充分にある。主人公はベトナム帰還兵(かつ元、正義派の警官、プロドライバー、プロライダー・・・)。
ただ、印象としてはトッピングはあくまでトッピングで、つくり手が、心身ともにこの手のカルチャーにどっぷりはまっているタイプの映画には、なぜか見えない。そもそも車自体、どう見ても体制側であるクライスラーが作り出した、資本主義のシンボルみたいなもの。ちなみにカスタマイズしつくした「イージーライダー」のバイクと違って、この作品のダッジはメーカー提供のノーマル車両だ。
極端ないいかたをすれば主人公はあきらかに疾走しているダッジ。とくに序盤はカーアクション主体で、物語もそのリズムで進む。だけどよくあることだが後半になると映画全体のスピードも鈍ってきて、「おまえ急いでいるんじゃなかったんケ」という観客のあせりをよそに主人公の車も停止している時間が長くなり、だんだんと物語はペシミスティックになっていく。
もちろん、主人公(人)は主人公だ。それなりに物語をまとっているし、ロードムーヴィーらしく、奇妙なひとびととの出会いもある。一番奇妙なのはラジオDJ、スーパーソウルとの電波を通じた出会いだ。この盲目の黒人DJは、ブラックだからといってソウルミュージックを掛けまくるわけでもなく(70年代初期で黒人DJがカントリーやフォークを掛けるとはおもえないんだけど・・・)しかもどうみても田舎町のローカルFMなのに電波は州を越え、どうやら彼は全国的な知名度を持っているようなのだ。その彼は主人公に入れ込み、盗聴した警察無線を元ネタにラジオを通じて主人公を導こうとする。でも主人公との有機的なつながりはけっきょくおこらない。じつはカットされたシーンで女性をヒッチハイクで拾うシーンもあったそうだ。あまりに寓意的でわかりにくいというので切られたそうだが、オカマのカップルを乗せてつまらんトラブルになるシーンは残されている。ちなみに時代のせいか、人種の部分はていねいに扱っているわりにオカマはえらくぞんざいに描かれている。

それにしても車で旅する=自由の希求 みたいな感覚に「テルマ&ルイーズ」を思い出した。ほとんど無限に道は続いていて、燃料さえ補給すれば(これが結構ストーリーのキーになるのだが)旅人は永遠に移動しつづける自由があるみたいに見える。とてもアメリカ的なこういう旅の姿は、でも実は思ったほどに自由ではないことを観客に気づかせる。
結局、車の移動というのは道でしかないからだ。平坦な道が延々と続いているかぎり旅人の自由は続くし、ストーリーも続く。しかし無限に続いていると思った道も、すぐにその平坦さは閉ざされてしまう。前を走る車に閉ざされ、警察の置くバリケードに閉ざされ、落石や悪路によって閉ざされ、あるいは道路そのものが突然断ち切れて、「テルマ&ルイーズ」では虚無の空間になってしまう。道がデッド・エンドになったときにストーリーも行き詰る。
ただちょっと面白いのは、「バニシング・ポイント」がオリジナルなのか、前例があるのか、平坦な中西部の乾燥地帯では、「道路の外」という自由のスタイルもあるのだ。逃亡者はときどき道路からずるっとはずれてそのままオフロードを爆走する。これは日々車を運転するものからみればたしかに「自由」感は高い。これがどの程度リアリスティックなのかわからないが、アメリカ車(とくにパトカー!)って、普通のセダンでもオフロード性能が高いなあなんて間抜けなことを感じてしまう。ダッジ・チャレンジャーも今のスポーティーカーとくらべるといやに腰高でロードクリアランスが大きく、コーナーや、直線でも高速は怖いんじゃないかという気がするが、その分悪路には強そうだ。この作品でも主人公は砂漠に逃げ込み、そこで奇妙な老人やコミューンとの出会いを経験する。町から出て、路上に行くことが自由・逃走の第一段階だとすればその道路=文明からもはずれて行くことは次の段階の自由・逃走を意味する。だからそこでたまたま出会う人たちも文明のアウトサイダーでしかないのだ。

ちなみにカーアクション自体は、時代(もしくは予算)ということもあるし、基本的に車のすくない田舎の一本道でのチェイスがほとんどなので、見方によっては地味かもしれない。しかしヘリコプターが効果的に使われたり、充分にスリリングで楽しめる。なにより60年代テイストと中西部のほこりっぽい風景とアクションの組合せが基本的に格好いいのでOK. クラッシュシーンは意外に少なく、ピースフルな精神に彩られた映画だからなのか、どうみても重傷モノのクラッシュでも乗り手たちは「やれやれ」といった体で立ち上がったり、壊れかけたバイクで戻っていったりする。結局死者は1人だけだ。

結論。『善兵衛が愛する<おバカ>じゃないカーアクションムーヴィー!』