秋日和


佐分利信主演シリーズ。
いうまでもなく、ヒロインの結婚をめぐって上世代のおっさんはじめみなさんが忙しく動き回るはなし。
何度見てもあきがこない奥深い味わいにはおどろかざるをえない。そして佐分利信。「彼岸花」とくらべて、こちらの佐分利はより無責任な立場にあり、むしろお調子者としてふるまうので、持って生まれた重厚感はどうにもゆるがないものの、すこし軽みとこっけい味をあたえられている。佐分利は「彼岸花」とおなじく「父」ロールと「伯父」ロールを使い分けるが、今回は「父」ロールはほとんど前面に出てくることなく、「伯父」および「同級生」として動くだろう。
ヒロイン原節子は母の役になる。美しい母としてあつかわれているのだが、もういっぽうのヒロインの司葉子を娘に持つ設定なので、いわばスポットライトとしては1段落とし気味であたっている。本人も、もちろん充分に美しい。ただしファンのひとは怒るかもしれないが、やはり年齢とともに人相の特徴がきわだちはじめていて、以前の娘役のときのような単なる美人の顔ではなくなっている。ほれられるあいてもかつての作品のような若者じゃなく、おっさんトリオなのだ。

司葉子は最終的には結婚するが、思い切り「硬い」「青い」性格に設定されている。そのあたり母の原節子を成熟した女性としてきわだたせるための脚本上の配慮でもある。母だけでなくて友人の岡田茉莉子ともいいコントラストになっている、彼女はいわゆる「さばけた」下町の娘役で、ちょっとダンスシーンのようにふたりで屋上でおなじうごきをしてみたり、司葉子をしかりつけ、そのいきおいでおっさんトリオを叱りつける、というまったく新しい関係性を打ちだしている。

しかられるおっさんトリオはレギュラー化した中村伸郎、北竜二と佐分利の3人だ。あいかわらず仲がよすぎる同級生たち。もっともノーブルな顔なのに、つねにちょっと身持ちがゆるめ的な設定の北竜二が、今回は結婚ばなし2題のいっぽうの主役になるが、もちろん泣き笑い的な結末となる。
それにしても毎度デジャブ感にあふれるこの世界。この美しきマンネリは、常連のたのしみということなのだろう。美しいマンネリはおなじ松竹の「寅さん」へとうけつがれるが、寅のほうは設定が連続しているからこそ物語上も共通しているわけだ。これにたいして小津のシリーズは、設定としては毎回独立した別の物語にもかかわらず(いやだからこそか?)酷似した舞台設定・役者・シチュエーションがくりかえされ、しかも決して映画的常套句ではないという不思議さ。しかし、トリオ3人の家くらいもう少し変えてみればいいようにも思うんだけど、これもガンとしておなじみの正面からのアングルで撮りつづけ、庭には竹垣と庭木や石があるところもほぼ一緒なので、やがて見るものはいつもの混沌のなかにとっぷりと浸かることになる。

この作品で注目するべきなのは色彩設計で、全体にウォームなカラーのなか、有名な赤(朱色がかった)のアクセントが手をかえ品をかえあらわれる。ヒロインがつとめる会社の屋上からは郵便局が見えるので大量の郵便車がテーマカラーとしてもあらわれる。対比色として、建築のなかでは低彩度のミントグリーンが、原節子がつとめる洋裁の学校や、佐分利の事務所などあらゆる場所にあらわれる。役者はだいたいウォーム系のあまり彩度の高くない衣装につつまれ、ゆいいつ岡田茉莉子だけが性格設定にあわせてはっとするような派手な衣装を着てみせる。空や水面をのぞいて画面からブルー系の色は排除される。ぜんたいに古いレコードのまるい音のような、非常にまとまり感のある色合いだ。

ラストでは原節子は俗界におりることなくトリオたちのヒロインとしての座をまもり、シリーズ通しての美しさをまもり、「秋刀魚の味」の笠置衆とおなじ世界におさまる。ただし小津はそこにちょっとした救いを用意している。

ここでも建築好きは序盤の清洲橋、それからありがち再開発パターンで表皮だけ残されることが決まった名建築、東京駅前の中央郵便局(これは何度も出てくる)に涙を流そう。ちなみに途中で突然あらわれる「若者のハイキング」シーンでは、みなさんあまりにもキめているのでいまの目ではちょっとシュールにも見える。あの山は軽井沢周辺とのこと。いやに広大な風景だ。


結論。「善兵衛に愛され続ける1作!」