有りがたうさん


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清水宏1903年生まれ、若い頃から松竹で活躍して、いろいろなジャンルで大量の作品を撮っている監督だ。本作は1936年。川端康成の小説原作だけど、ほとんどドキュメンタリーとして見てもいい映画だろうと思う。全編が移動するバスの旅、パーフェクトなロードムービーだ。静岡県の下田から三島まで。伊豆半島の中央部の山沿いをぬける天城街道、65kmくらいの道を(映画では20里といってる)、乗り合いバスがいく。運転手は超2枚目の上原謙、いろんな客が乗り込んだり、降りたり、道から声をかけたり、あらわれては消えていく。スタートから終着まで乗っている客は3人の女。年取った母と、都会に売られる若い娘、放浪する水商売の女。ストーリーのコアはこの3人だ。
バスってあれだよね、大きさがほどよいし、鉄道や飛行機とちがって運転手も乗客たちとおなじ空間にいるから絡みやすい。スパイク・リーに『ゲット・オン・ザ・バス』という映画があった。黒人解放運動の巨大なデモに参加するために長距離バスで旅する黒人男性たちの物語だ。時間をかけてテーマを浮かび上がらせるのに、一カ所につねに全員が集まり、それでいて舞台は移り変わるバスが効いていた。本作のバスは昔の日本だからずっと小さい。せいぜい10人ちょっとの定員で、大型バスより『リトル・ミス・サンシャイン』の雰囲気に近いかもしれない。

出発するところから話ははじまり、ほぼ終点までいっさい寄り道しない。画面はバスの車内か、路上の景色だけ。路上はほとんど乗客目線の画面で、ひたすらに移動撮影だ。この映画はいま伊豆を旅するぼくたちが見るであろう自動車の移動速度・視界で(もちろんだいぶ遅いけれど)80年前の天城街道がぞんぶんに見られる。標識もガードレールもない土舗装の道路だから、近世から変わらない景色じゃないかとも思えてくるけれど、たぶん違う。かつては馬車や、その後は自動車が通行できるように、明治以降急速に建設された道路網でもあるんだろう。トンネルは近代の土木技術の産物だし、道脇にはところどころにやはり近代の土木工事でつくられただろう石積みの擁壁も写る。
そして路上はじつに色んな人たちが行き交う場所でもある。バスはクラクションをならしてわきに寄ってもらい追い抜いていく。運転手は「ありがとぅ〜」と声をかける。それがかれのあだ名の「ありがとうさん」の由来だ。さすがに映画的に誇張してるなあというところもあって、街中だろうと田舎道だろうと山道だろうと、路上にはやたらと人がいて、運転手はひっきりなしに「ありがとぅ〜」といっている。あそこまではいないだろう。どういうわけか路上にはかわいい女性も多い。みんな働いている人たちだけど、運転手を見ると声をかけてちょっとしたお使いをたのんだりする。彼はみんなにやさしい。

「道」はひとびとが行き交う社会そのものなのだ。バスも同じだ。ひとびとにとっての「道」で、だから運転手はかぎりなくニュートラルなところにいる。そんな映画の視線、物語のコンパクトさにくらべて行き交う人たちの多さ、多様さがドキュメンタリックなあじわいを感じさせるんだろう。そして道を建設するひとたちもいる。建設業にかりだされていた朝鮮出身の女性がでてくる。運転手は彼女にもやさしい。けれど伊豆が終わると信州の工事現場につれていかれ、自分たちが作った道路でバスに乗ったこともない彼女たちに、彼ができることは何もないのだ。
物語は戦争の気配についてはいっさい触れない。けれど不況で、朝鮮人の労働者だけじゃなく田舎の村の若い娘たちが都会へ売られていくかなしみも、いつも物語の底にながれている。運転手は「最近でも8人娘さんを送った、一度峠を越えると帰ってくる娘はほとんどいない」という。屋敷の奉公や工場、じつをいえばそんなのはまだましで、バスに乗っている娘は人にいえない世界、つまり性産業に売られていく気配すらあるのだ。もう1人の女性はそれに近いところを生き抜いてきた女だ。だから周囲も少し微妙な視線で見ているし、お母さんも露骨に嫌悪する。それでもドラマをうみだし、物語をうごかすのは彼女なのだ。ラストはちょっと「んんっ?」となるオチがあるのでそれは見てのお楽しみ。ぼくとしては少し唐突、というかなぜそうなるのかという動機がいまいち薄かった気もしたけれど……..

セリフはたぶんトーキー(音声付き)の初期だったからだろう、聞き取りやすさ重視なのか不自然にゆっくりで、かつ平板なしゃべりなので、映像の芝居はちゃんとしているのに全員が大根役者よりになってしまうという難点はある。録音はもちろん同時録音じゃなくアフレコだ。でもとにかく伊豆の風景がすばらしすぎる。古い港町のなまこ壁も、狭い街中の街路も、急斜面にへばりつく山間の道路も、昔の街道のなごりか集落の中を通る道も。移動撮影やバックミラー越しの視線・映像のあつかいかた、意外なくらいに流麗な映像だ。