岸辺の旅

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<予告編>

ストーリー:3年前に夫優介(浅野忠信)が失踪して以来1人で暮らすピアノ教師、瑞希深津絵里)。ある晩ひょっこり帰ってきた優介は瑞希の作った白玉団子を美味しそうに食べ、衝撃の事実を告げる「俺、死んだんだ。体はもう残っていない」。でも2人はちゃんと抱き合える。優介は失踪してから見た美しいものを瑞希にも見せたいという。2人は旅に出た。優介が世話になった人たちのもとをめぐり...

『スパイの妻』からさかのぼって見た。黒沢清監督、2015年公開。湯本香樹美の小説が原作。死者らしくない死者と生者が自然に交流する、すごく静かで淡々とした話だ。感情表現は抑制されて、瑞希はとつぜん現れた優介をほっとしたように迎えるし、彼が死んだことをすっと受け入れ、無駄に泣きわめいたりもしない。

いうまでもなく死者との道行だからハッピーな空気じゃない。見ていると、漠然とこの時間が長くは続かない予感がするだろう。特に物語のルールがなくても、生者の世界にいる死者はかりそめの立場で、いつかはほんらいの自分の世界に行かなくてはいけない...なんとなくそんな気がする。

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死者と生者が触れ合う映画、古いところだと『ゴースト』とか『シックス・センス』とかを思い出す。この2作は伝統的なゴーストの設定、死者たちは実体のある肉体を持って生者と交流することはできない。肉体を持った死者モノは、要するにゾンビとかフランケンシュタインみたいなものが多い。つまりゴーストものと逆に生者と交信できるスピリットがないのだ。例外的なところだとドラマの『アメリカン・ゴッド』に両方持った死者が確かいた。あれは蘇った死者か。

本作では「死者だから」という仕掛けはすごく少ない。優介は瑞希だけじゃなく他の誰から見ても普通の人だ。2人同士でも何か特別な何かはない。食事もふつうにしている。しかもこの世界でくらす死者はどうやら優介だけじゃないのだ。かれらも周りからはわからないくらい自然に人々の中に溶け込んでいる。

ただ、すこしずつ「予感」はしている。2人の旅の日々は、いくつかの出会いのエピソードの連作みたいな作りで、それぞれ違う形で死者と生者のふれあい方が描かれる。その中で優介もだんだんと死者である自分の限界に向き合うしかなくなってくる。だから派手な悲劇も感情の爆発もないけれど、物語は切ない。初冬の小春日和みたいな切なさだ。

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黒沢作品ならではの違和感というか奇妙な感じは、本作ではほとんどない。はっとするようなビジョンもここぞというところでだけ使われる。黒沢作品でお馴染みの廃墟めいた風景が、本作ではいつもとは違う、この物語ならではの意味でドンと見せられる。でもそれ以外は、見る人が当然予想し、たぶん期待する、終わりの予感のある旅の切なさを邪魔しない、わりとストレートな情感のある物語になっている。

浅野忠信はいつも通りで、余計な芝居がなく常にフラットで、雰囲気的にも死の香りがない。本作の描き方にぴったり合っている。逆に感情の起伏が激しい役をやったらどうなるんだろう? 深津絵里は役によっては色々変えられるタイプだと思うけど、本作ではわりと伝統的な健気感を出している。唯一激するシーンが、生きている人間への嫉妬だというところも面白い。ちなみに『スパイの妻』主演の蒼井優が本作にも1シーンだけ出ている。ちょっとしたたかな〈女〉の役で、雰囲気が柔らかいだけに逆にいい収まりだ。

このささやかな物語、舞台は穏やかな田園風景や地方都市の景色で、ロケは神奈川県や千葉県の東京近郊でやっている。最初のエピソードは丹沢山地のふもとの山北町谷峨駅が映る。背景に山が見えていて、すこし古びた商店街があって、ノスタルジックな物語にぴったり合っている。

そんな感じの本作だけど、音楽はわりとベタにエモーショナルなオーケストラの劇伴がつく。切々と美しく歌い上げる感じだ。泣ける系の日本映画だったらお馴染みだろう。監督もあえてひねらずにこうしたのかもしれない。個人的な好みでいえば、もう少し音も淡々としてのでもいいかな、とは思った。

 ■写真は予告編からの引用

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