バーニング劇場版

 

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<公式>

ストーリー:運送のバイトをしていたイ・ジョンスはデパートでキャンペーンガールをしていたヘミに声をかけられる。2人は出身地の農村で隣同士の幼馴染みだった。ヘミはアフリカ旅行に行くから猫の世話をしてくれという。帰ってきたヘミは旅先で親しくなった男、ベンと一緒だった。何をしているのか分からないけれどリッチなベン。なぜか彼はジョンスに親しげだ。ある日ジョンスのぼろい実家に2人が来る。ベンは奇妙なことを告白する。ビニールハウスに放火するのが趣味だと。今日は下見に来たのだと...それを最後にヘミの姿が消えた。

本作は、村上春樹作品の短編『納屋を焼く』を膨らまして現代韓国を舞台にした。村上作品の映画化、当ブログでは『トニー滝谷』『ノルウェイの森』どっちも割と好きな作品だ。『トニー滝谷』はほとんど知られていないんじゃないかと思う、実験的な映画で、宮沢りえが半透明みたいなはかなげな女性を演じてすごく魅力的だった。

イ・チャンドンの作品はこれまで見たことがないからどんな作風か言いづらい。村上春樹作品ならわりと読んで来ている。そっちからはコメントしやすい。本作は、アダプテーションしながらも、原作小説の根底にある奇妙さの味わいはちゃんと残し、村上作品の読者ならおなじみのモチーフやアイコンがそこここに埋め込まれていて、映画化としてはすごく飲込みやすい1作だ。

作品のトーンはすごく抑えめだ。ぼくの中での韓国映画は(ごくごく限られているけれど)、たとえば最近作の『パラサイト』、『お嬢さん』『タクシー運転手』『Sunny』『怪しい彼女』など、作り手は違ってもある種共通して、すこし誇張してもエンタメ的な常套句に見えても、表現の「強度」を優先する部分がある。本作はこれらと較べるとじつに抑制的で、ストイックといってもいい語り口だ。

そもそも物語がミニマルといってもいいくらい出来事的にはささやかなのだ。主人公「ぼく」の前にふと魅力的な女性があらわれて、奇妙な男があらわれて、そして女性はとつぜん消える。「ぼく」は彼女の探索をはじめる。これだけだ。それと、物語全体として、登場人物への評価を保留している。称揚もないし断罪もない。

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物語は、前半はベンとヘミに誘われるまま、とまどいながら上流の暮らしをかいま見るジョンスがいて、中盤の映画的クライマックスをへて、後半は消えてしまったヘミを探すミステリーめいた展開だ。「主人公の前にあらわれた魅力的な女性がふと消える」村上作品おなじみのモチーフだ。物語は主人公の「探索」によって進んでいくけれど、あとに続くのは多くの場合「喪失」だ。一度失われたものは戻らない。

それ以外にもおなじみのモチーフ、たとえば「姿を消し、現れる猫」「涸れた井戸の底」「社会的・経済的には成功しているけれど何かが決定的に欠落している、身なりのいい男」あたりが、うまく使われている。

村上作品はしばしば、主人公=語り手の「ぼく」という1人称構造を取っている。本作もそうだ。探し求めるヘミも、ベンも、主人公ジョンスから見える部分しか観客には知らされない。1人称である以上、主人公の主観と物語内での客観はすこしあいまいなのだ。

後半は、そんな主人公の主観のなかで、1つの不吉な疑惑がだんだんとはっきりした輪郭を持ちはじめ、それを裏付けるようなサインが示されて、観客もしらずしらずにミステリー展開に乗せられるようになる。表面的には主人公はベンと会って普通に会話したりているけれど、低いBGMで静かな不吉さをただよわせる。

本作が原作にプラスしたのは、格差の構図だ。実家の家とトラックだけあって、なにも生業がないジョンスと、家を飛び出してカード破産しほとんど現金がないヘミ、対照的にポルシェ911カレラに乗って広いマンションに1人住まいするベンの底知れなさ。リッチな人々の飲み会に貧乏な2人も誘われる。ヘミはアフリカの話をきかせ、リクエストに答えてアフリカで見たダンスをしてみせる。独演会だ。

それを「お金持ちが退屈しのぎに興味もない芸も見る」様子として描く。すごく居心地の悪いシーンだ。しかもこのモチーフはあとで繰り返され、たまたまその時だけのものじゃないと分からされる。この格差の構図が、後段のミステリー部分の駆動力にもなっていく。だれも断罪はしていないけれど、どちらかといえば抽象的な原作の世界に、現実のひんやり感を加えている。

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 ロケーションは、ソウル市内と、30kmくらいはなれた、北朝鮮との境界に近い田園地帯、北朝鮮の宣伝音声が鳴り響くパジュが舞台。ロケ地情報がこんなサイトに乗っていた。パジュでの夕暮れのシーンが、さっき書いた映画的クライマックスだ。出来事はじつにささやか。ジョンスの家に車でやってきたベンとヘミと3人でリラックスした時間を過ごす。ベンが持ってきたワインや大麻でハイになったヘミが夕暮れのの光のなかで裸になって踊る。殺風景な田園地帯なのに、マジックアワーの美しい光の中で夢幻的な美しさだ。いい光の状態は一瞬だから、このシーンだけで撮影に一月近くかかったそうだ。

うまく説明できないけれど、『ノクターナルアニマルズ』が気に入る人は好きになる映画かもしれない。 ってふと思った。

■画像は予告編からの引用

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