(ハル)

f:id:Jiz-cranephile:20190815191028p:plain

<予告編>

ストーリー:パソコン通信の映画フォーラムで知り合った〈ハル〉と〈ほし〉。なんとなく気が合った2人は個人的なメール友だちになる。東京に住むハルは元アメフト選手の会社員、速水(内野聖陽)。ほしは男のふりをしていたけれど、盛岡に住む、仕事と自分を探し続ける美津江(深津絵里)だった。顔も声も知らない2人はそれぞれの住む街で相手を思い、自分の思いをかわしあう.....

故、森田芳光監督1996年の作品。1996年....だいたい日本のインターネット環境が本格始動するのが1995年といっていいと思うんだけど、パソコン通信はいわばその前の時代だ。正直にいって、僕のネット初体験はAOLだったから、パソコン通信は触ったことがない。だからこの2人の世界の感触までは分かってないかもしれない。たぶんネットより圧倒的にクローズなだけに、もっともっと親密な世界だったんだろう(これとかこれとか)。

そうはいっても、2000年代頭までは、やっぱり僕みたいなマスのフォロワー層からすると、メールのやり取りもブログやmixiだのコメントも、今思うとなんだか素朴で牧歌的に楽しんでいた気がする。今のtwitterの殺伐感というか荒涼とした風景からするとね...まあ殺伐はいつの時代もあったか。とにかく、本作の、メールだから大胆なこと言っちゃうところも、逆に伝えきれず・受け取りきれずに悶々とする感じも、リアルの知人じゃないけど、むしろなにか分かち合った気になるところも、似た空気感は体験していたつもりでいる。

f:id:Jiz-cranephile:20190815191128p:plain

f:id:Jiz-cranephile:20190815191111p:plain

というわけで本作、メールのやりとりだけでボーイミーツガールを語り切ろう、というコンセプトの映画だ。もちろん、セリフは音声で流れてくるし、2人が実際にどこにいて何をしているかは普通の画面で見せられる。でも2人のやりとりはメールだけだから、一番大事な2人の関係は、すべてかれらが見ているメールの文面を観客も読みながら理解することになっているのだ。森田監督は、当時のインタビューで、日本の観客は字幕でストーリーのほとんどを理解したりしているんだから、字幕が主役の映画をやってみようと思った、といっている。公開当時だったら、十分新鮮味はあっただろう。AOLを全面にフィーチャーしたラブストーリー『ユー・ガッタ・メール』が1998年だからね。

youtu.be

ハルは怪我で競技を断念し、彼女にもふられ、仕事にもいまひとつ誇りが持てない、鬱屈した状態だ。ほしは地方都市で職を点々とする。デパート店員、パン屋、宴会場の仲居、図書館スタッフ....かわいいほしは所々で男に追っかけられ、そんな悩みとも報告ともつかない話をハルに聞かせる。鬱屈したハルも、突然フォーラムに現れた異様にエロいメッセージを繰り出す女、ローズ(戸田菜穂)とオフでデートしてみたりする。

そんな2人がリアルでお互いを確認するチャンスが一瞬やってくる。出張で東北に行くハルを沿線のある場所でほしが待つのだ。もちろん話なんてできないし(.....携帯はそろそろあったと思うけれど、それはそれで)、新幹線だから、見えるのなんてほんの一瞬だろう。東海道線からピンポイントのタイミングで身代金を投げ落とす、黒澤明天国と地獄』を思い出す。そんなかすかなふれあいが、それでもある意味観念上の相手だったお互いがリアル化する、気持ち的にもクライマックスになる瞬間なのだ。

f:id:Jiz-cranephile:20190815191053p:plain

映画全体のトーンはすごく静的で、テキストが主役、という部分以外はすっと入るように撮っていて、特に盛岡の、田園風景とモダンな都市景観がほどよく混じっている絵がとても美しい。監督はエドワード・ホッパー(たぶんこのへんこのへん)をイメージして、とカメラマンにいったという。ホッパーはほんとに映画作家に愛されるね。深津絵里が、まだフジ的な色がつきすぎる前でとてもかわいい。村上春樹の愛読者という設定で、監督によれば、物語を考える時点で、そういう女の子として決めていたそうだ。1996年は『ねじまき鳥クロニクル』が出た時期。作家としてある種のピークを迎えたころだ。

内野聖陽はぶこつな顔で、実直そうだ。2人とも「人としてまじめ」なところが採用の理由のひとつだと監督はいってる。ま、とにかく全体にわりと静謐で、ほんわかとしていて、でもクールでドライで、今見てもモダンな、すてきなラブストーリーだ。

■画像は予告編から引用

 

jiz-cranephile.hatenablog.com