スパイの妻(名監督と蒼井優 その2)

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<公式>

ストーリー:1940年、神戸。貿易会社の社長、福原(高橋一生)と妻、聡子(蒼井優)は西洋館で暮らし洋食をたのしむ裕福な夫婦。あるとき甥の竹下と満州に渡った福原は何かを目撃する。帰ってからの彼は聡子には分からない秘密を竹下と、そして満州から連れ帰った草壁という女性と共有していた。疑念と嫉妬に取り憑かれる聡子は、ある日、憲兵隊の分隊長になった知人、津森(東出昌大)のところへむかった....

祝、ベネツィア映画祭監督賞。後付け以外のなにものでもないけど、ヨーロッパの映画祭で愛される作品かもなぁという気がすごくした。斬新な映像表現や地域性、現在性のある題材というわけじゃないけれど、100年ちょっとの「映画の歴史」を愛し、リスペクトし、映像そのものを物語の中心にすえて、丁寧に「今の映画」バージョンで再現したのが本作だ。

ぼくが思い出したのはポール・バーホーベン監督の『ブラックブック』。それからブライアン・デ・パルマ監督の『ブラックダリア』。ブラックつながりはたまたまで、どちらも2000年以降に作られた、1940年代舞台のドラマだ。『ブラックブック』はナチと渡り合って自分の生き方を貫くヒロインに、『ブラックダリア』は過去のノワール映画のパスティーシュっぽく雰囲気を再現した作りに共通するものがある。

 

 

受賞&公開に合わせた黒沢清監督のコメントがいろいろ見られる。芸大時代の教え子たちが神戸を舞台とした脚本を書き、監督を招き、NHKのドラマ同時制作となったことで大河ドラマの屋外セットを使えて、衣装部は時代に合わせてしっかりした衣服を仕立て、そして俳優たちは小津の『風の中の牝鶏』などを手本に巨匠監督たちの時代のセリフ回しを再現する...

黒沢監督というと、作家性と比べて制作体制が貧弱で、監督のビジョンに映像が追いつかないか、あるいは割り切ったんだろうという撮り方になっていたり、というイメージがどうしてもあった。『回路』とか『散歩する侵略者』『カリスマ』みたいな作品だと、リッチな海外作品を見慣れた目からは、カタストロフシーンのチープさが気になってしまったり、『トウキョウソナタ』や『岸辺の旅』みたいに、繊細な見せ方に徹して、ロケ地も遠隔地を選ばずに撮り切ったり。

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本作は脚本に対して「やむなく」的なシーンが目につかない。上に書いたみたいな制作体制の充実が大きいんだろうと思う。それと大きすぎるシーンは慎重に避けられている。無理なスペクタクルは一切なくて俳優たちの演技で見せていき、時代の雰囲気は大河ドラマを流用した広い、作り込んだセットや、ちゃんと選ばれたロケ地、神戸の実在の西洋館や、たぶん戦前のビルを流用した憲兵隊の庁舎、古い旅館などで感じ取れる。

ストーリーは黒沢作品では異例なくらい明快だ。黒沢作品でときどき感じられる、ストーリーのゆるみというか拡散や、物語と象徴劇的なものが入り混じり「どこまでリアルなものとして受け止めればいいんだ?」というような迷いは本作にはない。物語の中では現実だけを描き、物語が向かう目的も一貫している。その中で夫婦が愛しあいながらもゲーム的に振る舞うところが、今までの黒沢作品の、わりと出来事に振り回されて流されがちだった主人公像と違って新鮮だ。主要モチーフになる、物語内で撮られる2つの映像の扱いもすごく効果的だ。

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本作の蒼井優は有能な経営者の夫に対する、無邪気で一途ですこし幼稚な妻として登場する。その印象があまり変わらないままで夫婦のパワーゲームに突入するところが意外性があって面白い。でもそのあとも一途な思いは変わらないのだ。クラシックな台詞回しも学芸会感はいっさいなく、画面になじんでいる。

夫役の高橋一生は、じつをいうと映像でちゃんと見た記憶がなかった。『シン・ゴジラ』とか見てるんだけど。そんなに派手な外見じゃないし、やや線が細いタイプだと思っていたら、本作の堂々とした存在具合には驚いた。序盤で、かれが経営する会社に憲兵の指揮官になった東出がやってくるシーンがある。古い映画の世間話めいた口調で、権力を手にした年下の知人に応対する大人のふるまいを演じて見せて、ちゃんと重みがある。

彼のセリフは自然な会話じゃなく、状況説明を兼ねた、演説になりかねない長セリフがけっこうある。それを高速でありつつ早口にも、演説にもならずに聞かせる。舞台キャリアが多いのもあるかもしれない。あと、なにげに衣装が特注というのは効いている。スーツが体型に合っていてシルエットが美しいのだ。長身でややルーズに軍服を着こなす東出と対照的だ。

というわけで、本作、全体にバランスが取れたエンタメで、スペクタクル大作じゃない「映画を見た!」という満足感がある一作だった。ある意味映画愛が溢れやすいジャンル、「映画を作ることの映画」的一面もある、そんな作品だ。

 ■写真は予告編からの引用

 

 

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