ROMA

f:id:Jiz-cranephile:20190330181747p:plain

f:id:Jiz-cranephile:20190330181756p:plain

<予告編>

ストーリー:1970年、メキシコシティ。先住民系の娘、クレオは裕福な家庭の住込み家政婦だ。毎朝子供たちを起こし、家を片付け、料理をし、奥様のお使いをし、夜家族が寝静まると家中の電気を消して女中部屋に戻る。そんな日々のなか、クレオは妊娠に気づく。日々はめぐりクレオのお腹はだんだん大きくなる。海外出張にいったはずの旦那さんはなぜか一向に帰ってこない。街では市民と政府軍や武装組織との対立が目立ちはじめていた....

Netflix限定公開の本作、ありがとうイオンシネマといいたい。事情は知らないけれど、そんなにマニア層狙いの映画館とも思えないけど、劇場公開してくれたのだ。

映画館で見られてよかった! 監督キュアロンといえば代表作『グラビティ』の体験型宇宙映像が出てくるよね。本作はだいぶ違って、じつに渋い、落ち着いた、ていねいな日常描写を重ねるタイプのホームドラマだ。だけど、映画館の高品質の画面と、サラウンド的な音響の中で見ると、これもまた体験型に感じるのだ。

画面はモノクロ。ふつうはすこし抽象的になる。もちろん本作でもその効果はあるけれど、高精細のカメラとおそろしく微妙な濃淡の階調で、画面のみずみずしさが半端じゃない。キュアロンらしくワンカットでいける場面は、ずっと切らずに撮る。カメラ自体による派手な絵の動きはなく、わりと自然に中の人々の動きに目がいく撮影だ。

それから音響。劇判音楽はない。音楽はシーンの中でかかっている曲くらいだ。あとは環境音だ。小鳥の声、遠くの自動車のノイズ、街を通る楽団かなにかの管楽器の音、家のなかでは犬の吠え声、子供たちの高い声、TVの音響....そんな生活を形作るじつにいろいろな音が、大きすぎず、でもはっきりとそうと分かるように聞こえる。画面の左側の見切れたところにいる人物の声は、真横から聞こえる。

そんな画面と音響のせいで、映画の世界への没入感、中に入り込んだ感じはとても高いレベルになる。いわゆるPOV(主観ショット)ものなんかよりずっと入り込んでいる。

f:id:Jiz-cranephile:20190330181826p:plain

それでいて画面はとても端正だ。最初のタイルの床のシーンから、「これは美的感覚をもろに前面に出してくるな」と分かる。水平をくずさないカメラ、あわい照明による微妙なモノトーンの色彩で、画面はとにかく美しい。屋外シーンではフェリーニ的ななにかを思い出すし、室内シーンでは、だれと例えればいいんだろう、小津的といってしまってもいいのか、是枝的でもあるし、そんな日本映画の美しさも思い出した。

お話は淡々とすすみ、どこかずれた人々が点在することもあるけれど、極端な出来事はいっさいおこらない。ほぼ1年間を通した、クレオの生活と葛藤と、奥様の生活と葛藤と、子供たちのあれこれが近景で移り、遠景には荘園の風景や山火事やまずしい村や都市での武力衝突や、そんな当時あったメキシコ社会の断片やどこか象徴的な現象がうつる。

だからぼくたちも、1970年のメキシコにひとときお邪魔したみたいにその世界にひたることができるのだ。その世界はキュアロン自身のカメラによってすごく美しい部分を切り取って構成してあって、あまあまの世界ではけっしてないけれど心地よい。

f:id:Jiz-cranephile:20190330181846p:plain

本作では、いくつかのモチーフが韻を踏むみたいに繰り返してあらわれる。まずはなんといっても飛行機だ。ファーストシーンで家の中庭から見上げた空を飛行機が通り過ぎる。じつはかれらの家(ロケ地はここだ)はアップタウンだけど国際空港から数キロの距離で、しょっちゅう旅客機が上空を通過する。それから犬の糞。家の飼い犬は1匹だけで、かれの動きや騒ぎ具合が一家の雰囲気をあらわすんだけど、毎日のように大量に糞をする。ここは映画的誇張で、1匹じゃありえない量の糞だ。糞もところどころでエピソードの小ネタになる。お父さんの車が踏んでしまったり。

その車も一家の1年間の変化や奥様の心の乱れを映す鏡のような存在だ。はじめ家にあった大型のフォードは、やがてコンパクトなルノーに変わる。大型のフォードは一家の象徴みたいな扱い。いい意味でも悪い意味でもね。そんなフォードに乗って、奥様は子供たちとクレオを連れてビーチに出かける。ちょっとした気分転換が必要だったのだ。カリブ海に面した、でもけっこう波が高いビーチ。ここが象徴的な舞台になる。場所はトゥスパンという、メキシコシティから300kmも離れたところだ。ふらっと湘南にでかける感じじゃない。お母さんにとってはそれなりに決意を秘めたお出かけだったのだ。

時代はメキシコにとっても騒乱の時期だったらしいけれど、たぶん色々な国のこういう時代と同じように、その余波をかぶらない人たちにとっては近所で起こっていても遠いできごとなのだ。動乱と日常。最近みた『サニー』『タクシー運転手』を思い出した。

■写真は予告編から引用

 

jiz-cranephile.hatenablog.com