動いている庭


<公式>
これはだいぶ説明が必要な1作だ。ドキュメンタリー作品。たぶんそうそう見られない。DVDにもなっていなさそうだし、商業映画館で掛けるようなものでもないし、「知られていないけどじつは面白い!」みたいな小さな小屋主が上映してみたくなる佳品というわけでもない。
パリのアンドレ・シトロエン公園、読んでる方で行ったことがある人いるだろうか。完成が約25年前だけど、ランドスケープの人間はそれなりに注目した。まんなかに芝生の整形の広場があって、周囲にはいろいろなテーマの小部屋めいた空間が広がる。敷地の端のほうには他の人工的な植栽と違った「動いている庭」のコーナーがある。灌木や草が主役の庭だ。ぼくがおとづれたのはもうずいぶん昔。2000年代になりたての頃だ。「動いている庭」の植生も、園路の形もいまではだいぶ変わっているはずだ。
そこにいる植物たちのバランスや力関係、どれかの植物が大きくなることによる環境の変化などで変る。ふつうの公園だったら管理者が介入してそれを固定しようとする。変えるときはプランを描いて計画的に植え付ける。でもここではそれをしない。最小限の除草などで介入する。変化は主役である植物たちにまかせる。植栽デザイナー、ジル、クレマンが提唱したメソッドだ。彼の著作「動いている庭」は2015年発行。みすず書房発行だから専門書店だけじゃなくちょっとひねりの効いた棚で見かけることはある。

本作は著者クレマンにかれの美しい自宅でインタビューした映像と、かれが日本に招かれて講演し、関係者と京都の庭などを見て回っている時の映像が交互にあらわれる。クレマンの家は森に接した広い敷地にたつ、親の代から受け継いだ建物だ。まわり中の植物にはかれの思い出が宿っていて、かれは毎日のように庭をまわっては草を抜いたり多少植えつけたり、少しづつ手を入れる。パリから3時間くらいの田舎で、落葉樹と、おぼえていないけれどじゃっかんの針葉樹があっただろう。あかるく、低木や下草がよく茂った林や草原だ。
ぼくはこういう、場所と、そこによくなじみめんどうを見ている人との関わりを見せてもらうのが大好きだ。もちろん、自宅にずっと住んで手入れをしている人はいくらでもいる。クレマンの場合も自宅は自宅だけれど、仕事の原点でもある。その人のなりわいと場所が密接に結びついて、お互いがお互いを生かしているような関係になっている時、なんともいえない親密な空気を感じるのだ。庭に限らないけどね。自分の店を持つ人だってそうだ。クレマンが自分の庭を案内し語る姿にはそんな空気があった。
日本編では、京都と東京で講演をし、かれの著作を翻訳した研究者と日本に滞在しているフランス人研究者に伴われて京都や奈良など各地を回り、景色に感心したり、地元の人と語り合ったり、居酒屋でおでんを味わうクレマンの姿が写される。

製作・監督・撮影は映像作家/アーチストの澤崎賢一。たぶん民生品に近いカメラでほぼ1人で撮影しているんだろうと思う。音声もカメラのマイクじゃないだろうか。もちろん照明もいない。スタッフを見るとカラリストや音響調整がクレジットされている。
フランス編の映像はそれなりに美しい。場所が美しいからね。ハイエンドな機材ならもう少しビビッドな映像になったかもしれないけれど、目に入る情報としては十分だ。ただ、音が気になった。環境音というかノイズが常に入っているのだ。雨の音。風の音。足音、枝がふれあう音。こういう風に書くと自然の息づかいを取り入れてるように見えるかもしれないけれど、その手の作品は慎重に録音していい感じのバランスで別途付け加えるのだ。きっと。だって人間がその場にいたら、環境音をフィルタリングしてあまり音として意識しないからね。本作はあえてそのまま聞かせたのかもしれないけれど、正直ちょっとノイジーに感じた。日本編はどうやら訪日が冬だったこともあって全般に寒々しい。しかも機材の性質か、なんだか色彩がくすんで、彩度が低い印象があった。
まあ、そんな感じで見やすさという意味ではお金のかかった作品とは比べられないし、日本編はさておきフランスでの作品と語りをもう少し見たかった気はするけれど、とにかくこのテーマを映像化した製作者たちにはありがとうといいたいんだよね、ぼくとしては。