シリアスマン

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ストーリー:  1960年代、ミネソタ。ラリー は大学の理論物理の教授、しきたりを守るユダヤ人だ。ある日、唐突に妻が離婚を切り出した。しかも知り合いの年上の男と付き合っていたのだ。なぜかラリーは家を追い出され近所の安モーテルで暮らすことになる。トラブルはそれだけじゃなかった。大学で、自宅で、次々に頭の痛い出来事が降りかかる。ラリーはたまらず3人のラビに相談に行く。そんな中、13歳の息子ダニーにユダヤの成人式〈バル・ミツワー〉が迫っていた...

コーエン兄弟、2009年の作品。地味といえば地味な映画だ。カーリーヘアにメガネの主人公が右往左往する感じは、たとえば過去作『バートン・フィンク』でもおなじみだ。でもバートン・フィンクみたいなカタストロフは起こらない。風景はコーエン兄弟の少年時代、かれらが育ったミネソタユダヤコミュニティのものだ。お兄さんのイーサンはちょうど本作の息子ダニーと同じ歳。コーエン兄弟のお父さんも大学教授だった。

ダニーの学校では老教師がヘブライ語で授業する。成人式のためにユダヤ教の聖書の勉強もしている。でもかれは授業中にもラジオでサイケデリックロックを聴き、近所のおっさんからマリファナを買う。例によって庭の芝生は青々と広がって、当時の中流・インテリ層アメリカ人のゆったりした郊外ライフだ。

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そんなゆったりしたラリーの日常にある日とつぜん災難の連打があびせられる。離婚の危機、家からの追放、訴訟騒ぎ、兄の逮捕、不吉な隣人トラブル…一寸先は闇だ。それは彼が大学で講義する「シュレジンガーの猫」そのものだ。世界には、われわれが原理的に知りようがないことがあるのだ。

本作、旧約聖書の『ヨブ記』がベースだとよく言われる。正確な解説は他サイトにお任せするけれど、サタンにそそのかされた神の試練によって次々に災難におそわれる男の話だ。男は信仰を曲げず「お前に原因がある」という3人の友人との論争になる。最後は嵐の中神が現れて神の絶対性を告げ、ヨブを叱責する。

ひたすら災難にあう主人公、3人のラビとの対話、ラストに現れる嵐の気配...たしかにモチーフ的には十分近い。インタビューで『ヨブ記』との類似を聞かれたコーエン兄弟は「考えたこともなかったな」「この話は小市民のジョークだ」とか言っている。まに受けていいのかはともかく、描き方はむしろ他の作品より神話性や主人公の偶像性が抑えられている気もする。

ノーカントリー』のシュガーの超然とした悪役ぶりや、『インサイド ルーウィン・デーヴィス 』の冥府巡りめいたライブツアー、『トゥルーグリット』の妙に象徴的な後半のシーン...本作は何かのシンボリズムを込めるにしても、日常の描写のルックからはずれて必要以上に意味ありげな光景を見せたりしない。屋根の上から隣の奥さんのヌードを盗み見るみたいな描写だ。

そう、本作はちょっとシュールな日常系コメディなのだ。主人公が災難に合うのも、ある種のコメディの王道展開だ。かれの周りにあらわれる人々はみんな真面目くさった顔で要求を言い立てる。そのどれもが確実に主人公に不利益をもたらす。たまりかねた主人公が相談に行く3人のラビは、まるでありがたみがない話を延々と聞かせる。ユダヤコミュニティの精神的指導者、地元のお坊さんのように正しき生き方を説くはずのかれらがこれなのだ。

前半でラリーは病院に検査に行く。でも彼の心配をよそに体はどこも悪くない。このあたりも含めて、やっぱりウディ・アレンが思い浮かぶ。神経質で落ち着きのない、メガネで非マッチョの、さえない、それでいてスケベな主人公。人物としてはよく似てる。

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そんな本作、画面は素敵だ。色彩は階調がゆたかで、全体にオーカー系に振ってるんだろうか、落ち着きがあって黒味がしっとりしている。ロングショットでとらえるミネソタ郊外の街もなんとも美しい。さっきも書いたみたいに、象徴的だったり神秘的ともいえる非日常的なシーンはほとんどなくて、日常的な風景をひたすらに美しく撮る。撮影監督は長年コーエン作品を撮っている巨匠ロジャー・ディーキンスだ。

コーエン兄弟の作品のなんともいえない品の良さはけっこうな部分、ディーキンスの画面によってると思う、絶対に。ささくれた映像で撮ったら『ノーカントリー』のシュガーだってたぶんただのサイコな殺人者にしか見えない。チープに撮ったら『ビッグ・リボウスキ』だって小汚い中年男たちにしか見えない。軽いライティングで撮ったら、本作だってもっと薄っぺらいドラマに見えてしまうかもしれない。そういうこと。

…撮影地はほとんどミネアポリス。かれらのささやかな家はこの辺だ。

■写真は予告編からの引用

 

 

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