シングストリート


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ストーリー:1985年、ダブリン、アイルランド。ぼんぼん学校にいた15歳のコナーは、家計がくるしくなって学費の安い男子校シング・ストリート校に転校させられる。そこは絵に描いたような監獄学園だった。転校早々ぼろぼろのコナーは学校の前でいけてる女子ラフィナにひとめぼれ、彼女にもてるためにバンドを結成することに。とんとん拍子にメンバーがあつまり、80年代ブリティッシュ・ポップ風のオリジナルを演りはじめる。心の師はひきこもりの兄貴ブレンダンだ。ラフィナはかれらのバンドのMVに出演してくれる。そんな感じで楽しくはじまった音楽ライフだったが、実生活には暗い影がさして……..

ひさしぶり劇場。ジョン・カーニー監督はこのブログではめずらしく『はじまりのうた』のときも劇場で見て書いてる。あまり行かないぼくでも「劇場でみようかな」と思うなにかがあるんだよね。本作は監督のいつものテーマ、「いい音楽をつくることで人生つくっていけるんだ」の話だ。『はじまりのうた』も『ONCE』もつねにそうだ。ここでのキモは「音楽をつくる」というとこ。客を熱狂させるカリスマじゃなくてもいい。いい作り手であれば。本作は学園ライブシーンがある。それなりに客も盛り上がる。でもそこが成功でもゴールでもない。かれは曲を作るひとなのだ。

カーニー監督のストーリーはいつもとてもシンプル。登場人物もすくないし、舞台もひとつの街だし、描かれる物語もちいさな手の届く世界だ。お話のゴールはわりとはっきりしている。だからどの作品もとても分かりやすい。そしてせつない。この物語もそうだ。まして15歳の少年が出口のみえない日常から音楽をつうじて何者かになろうとする、愛も手に入れようとする、そんな世界中わりとどこでも通用し、共感できる話だ。少年を主人公にしてることもあって3作のなかでは一番くすくす笑える(だってやっぱりバカだもの、少年だから)。かれの作品のなかでも一番間口が広いと思う。

かれの作品に共通して、キャラクターたちも魅力的だ。ヒロインのラフィナは16歳にしてはちょっと老けてるのが最後まで気になったけど、80年代風メイクを落とすと魅力的になった。あとバンドのメンバーもいけてない奴らだらけだけどいい。いっしょに曲づくりをするイーモン役の彼、マネージャ兼MV監督の彼など、じつに味がある。

この時代のアイルランドならではなんだろう、独特のせつなさもある。そんなに豊かじゃない国・街でくらすひとたち。不況だから家族の顔もさえない。父母は別れたがっているけれど、カトリックの規制がきびしくて法的に離婚ができない。ドイツで自分を変えてみようとした兄貴は家族に止められて引きこもりになった。EUで一体化した今ほど大陸も(そして隣国のイギリスも)近くないのだ。だから若者たちはTVでロンドンのポップスを見てひたすらあこがれる。

もちろん音楽もいい。丁寧につくりこんだオリジナル曲も、しろうとながらに当時のはやりに影響を受けて撮るMVも、もちろんバンドに影響受けまくりのファッションも。ボーイならではのあさはかさで次々にいろんなスタイルを乗換えるから、ちょうど当時の流行サウンドのうまい紹介にもなっているのだ。まあ……バンドサウンドは、スタジオミュージシャンたちが「苦労して初心者らしく下手に演った」というわりに、いくら苦労してもやっぱり上手すぎるけどね。そこは聞き心地もあるからいいんじゃないの。

お話としては正直ちょっとどうかなとは思った。設定はいいのだ。ただ話がトムトム拍子すぎるへん(一目惚れ女子に声かけるのにちゅうちょがなさ過ぎ、女子も簡単に受入れ過ぎ、バンドメンバーがすぐに集まり過ぎ、敵役の校長が典型的過ぎ…….etc)、それにラストだ。具体的には書かないけれど、あれって唐突な気がした。もちろん伏線はあるけれど、それにしてもふつうの高校生設定には特殊すぎるし、むりにああしなくてもかれらの当面の目標を実現する手はあるでしょう? ちなみにラスト、見た人はどっちに解釈するんだろう。夢を信じて果てしない未来にむけておれたちは行くぜ!なのか(かかる曲もGo Nowだし)、まぁその象徴ということなのかなぁ。というのはぼくにはまるで出口がみえないかれらが死ににいくみたいに見えてしまったからだ。だからエンドクレジットのところでなんかの救いを置かないのかな、と待ってしまったくらいだ。トータルではぼくは『はじまりのうた』の方が好きだ。

最後に「すべての兄弟たちへ」と献辞が出る。「すべての夢をもつ少年少女たちへ」じゃないのだ。物語のなかで兄貴は重要な存在だけど、脇役といえば脇役だ。でも観客のおおくが一番共感するのもかれだろう。そういうふうに描かれているし、ぼくらの大多数は(引きこもらないにしても)彼の側なんじゃないだろうか。監督の自伝要素がおおきいという本作のなかの心情のコアは、兄貴なのかもしれない。

追記。そうそう、つくづく思ったのは、ティーン向けのポップの大事さってことだ。ぼくはすれた小僧だったから、ヒットチャートやバブルガムミュージックはずっとばかにしていた。でもさ、10代にささるなにかを狙って作るのって「子供だまし」じゃできないよね。そして10代の時に刻まれたポップの記憶が大人になったかれらの嗜好のコアになる。いまでもそらで歌詞を思い出せるのって10代のとき覚えた曲だ。音楽でも漫画でも、大人にささる味わいだけが名作の条件じゃない。そんなことを気づかされた。若者向け市場が明白に生まれたという1950年代以前の少年少女たちは、なにを思い出にしていたんだろう?