シン・ゴジラ


<公式>
ストーリーゴジラが現在の東京に…….!!
このゴジラ。まず地理的なとこからいいたい。ゴジラが上陸するのが、大田区を流れる都市河川、呑川。世田谷区の桜新町あたりから川になり、目黒区の南よりを通って、大田区蒲田をかすめて羽田で東京湾に流れ込む。東京人でもほとんどしらない地味な川だ。だいたい、中流から上はむかしにフタがかけられて、桜が植わった緑道になってしまっている。そんな呑川、ぼくが生まれた家から徒歩5分くらいのところを流れていた。緑道もよく歩いていた。でもメディアで取り上げられている、ましてや映画に出てくるなんて一度も記憶にない。近所のタバコ屋のおばちゃんが急に映画にでているみたいなものなのだ。
ここまではのネタバレは許してほしいけど、ゴジラの上陸ルートはもうひとつある。鎌倉由比ガ浜から、釜利谷、横浜、武蔵小杉を通って多摩川をわたり、東京へ進むのだ。これって要するに横須賀線で東京にむかってる人だ。釜利谷は別だけどね。しかし釜利谷。ださないでしょ、こんなシンボリックさのない地名。うれしくなってしまった。ここでは斜面の擁壁が破壊されている。そう、釜利谷は横浜南部のちょい山がちなエリアで、斜面をきりひらいてできた住宅地が広がってるところなのだ。だから擁壁。そんな市民のいとなみを豪快に破壊する。それから武蔵小杉。ここもちょっと前は横須賀線の駅自体なく、工場が多かったはずだけれど、いまでは高層マンションが林立して、勤め人たちが無言で異様に機敏に乗り降りする素敵な駅になっている。通ってます、日常的に。
そして多摩川だ。目黒南部でそだったぼくにとって、一番身近な自然ぽい行楽地は多摩川河原だったのだ。石の水切りを覚えたのもここだし、鼓笛隊の練習もしたし、グラウンドで野球もした気がするし、第三京浜のガード下でエロ本も拾った。そんな多摩川ゴジラが渡ってくるのだ。こどもっぽく対抗するとオレだって多摩川歩いて渡ったことある。小学生のとき!今考えると事故寸前だったような気もするが………..
つまり総合すると、いやに馴染みがある土地を、ちゃんとそうとわかるように映画はとりあげてくれているのだ。ご当地映画でもない大作で、この感じは面白い。なぜ選ばれたのかはよく知らない。もちろんオリジナルゴジラも南海からやってくるわけだけど、庵野総監督は(たぶん)鎌倉住まいで、かれの日常移動径路なのかとも思うし、あと、むかしから小津や成瀬巳喜男の映画で、主人公が鎌倉の家と東京の仕事場を往復する設定はよくあった。戦前から、横須賀線の東京ー鎌倉所要時間はあんまりかわらないんだよね。あと、東宝・松竹・日活など、多摩川沿いに撮影所をもっている映画会社は多かったから、映画人にとって多摩川の景色はわりとなじみがあったのかもしれない。じつにさまざまな日本映画の遺産をとりいれているこの映画では「このあたりも踏まえてきてるのか?」みたいな想像もひろがる。

映画全体については、公開中だし、あまりあれこれ書かないけれど、とりあえず2つ。
ひとつはもちろん、3.11を想起させる語り口だ。ゴジラは最初は津波のようであり、とちゅうからは暴走する原子炉のようになる、そのなかで大した説明もなく、空間線量(そこにいる人間が被ばくする線量)の図が差し込まれたり(現実バージョンはたとえばこれ)、その単位のμSvなんて言葉がさらっとでてきたり、官僚たちが「東京も帰還困難区域に….」といってみたり、「ゴジラ放射性物質半減期が短い(=短期間で無害化する)、これで除染もメドがつく」みたいにいってみたりと、ストレートに喩えられている。こういうものがすぱすぱと出てくるのは、登場人物が情報を発信するがわの官僚だからだ。ある時期以降、とくにアニメ界隈で「大人の観賞に耐える」リアル系かつわりと大きめの世界を描く作品は、すべて官側の職員が主人公になってる、というこの現象についてはだれか教えてくれ。
で、もうひとつは、庵野作品独特の、イメージの強さだ。エヴァンゲリオンだって、観客をひきつけた魅力のおおきなひとつは、画面にあらわれるあらゆるイメージの強さだったと思う。そのどこまでが庵野自身からでてきたものなのかは知らないけれど、他の作家にない独特のビジョン(視覚的なイメージのソース)を持っている、ある種の幻視者的資質があるひとだと、ぼくは思っている。現実の風景ベースのゴジラでもその独特の強度はところどころにあらわれている。ときどきチープなCGをおぎなってイメージの強さは観客を満たしてくれるだろう。
そんなこんなで、十分に楽しませていただきました。かなり日本特有の文脈に依存している話でもあるし、すでに一部聞こえるみたいに、海外の観客からすれば「アクションかと思ったら会議ばっかじゃねえか」ということにもなるから、海外配給されてどの程度評価されるのかはわからない。でもね。