ONCE ダブリンの街角で


<予告編>
ストーリー:ダブリンの路上で、ギター弾き語りで歌う男。ロンドンで夢やぶれて彼女もなくして帰ってきたかれだった。1人の女の子が足を止めた。ほんの小銭を投げ入れた彼女は、かれの身の上をやたらと根掘り葉掘りききはじめる。「なんだこいつ」と思っていたかれだけど、次の日も女の子はやってくる。女の子はチェコ移民で音楽の素養があった。彼女がいつもピアノを弾かせてもらっている楽器店でセッションが始まる。彼女と話すうちに「もう一度やってみよう」と気持ちがかたまったかれはスタジオを借りて、ストリートミュージシャンたちに声をかける。デモCDをレコーディングするのだ。彼女はキーボーディストで参加する。どこから見ても想いあっている2人。でも彼女の家へいくと…….

はじまりのうた』のジョン・カーニー監督の出世作だ。ぼくは公開当時しらなかったから、今回はじめて見た。で、さいしょに思ったことは、「これ、まったくおなじ話じゃん!」 そうこの2作、ほとんどおなじプロットなのだ。男と異国から来た女が音楽をつうじて知り合う。2人とも失意の中にいる。そして音楽をつくっていくことでもう一度前に進んでいこうとする。2人はほのかに思いあう。でもどっちもこどもじゃない。捨てられない、捨てたくない関係をもっている....
音楽についてもよく似ている。主要キャストがガチで歌うミュージカル的なところも、その曲がフォーキーなアコースティックギターメインの曲なところも。

監督は、主演グレン・ハンサードが率いるバンド、フレイムスにいた元ミュージシャン。だからと簡単に言うのもどうかと思うけれど、とにかく音楽へのストレートな愛と信頼が、というかそれだけが映画のメッセージだ。本作の主演2人は本職の俳優じゃなくミュージシャン。かれらが思いを表現するときはセリフじゃなく歌だ。どっちもはじめからの狙いというより、いきがかり上の部分もあったみたいだけれど、とはいってもお話のコアが音楽なのは変わらない。
フレイムスというバンド、ざんねんながらまったく知らなかった。1990年結成だからオアシスと同時代だね。アイルランドのロック、トップ10といわれると聞いたことあるのもそこそこあるけど、やっぱり詳しくないなあ。 ぼくが持っているのはチーフタンズとかヴァン・モリソンとか、もっとトラディショナルな(ていうか昔の)やつだ。この映画にも、ちょっとしたパーティーでトラディショナルミュージックを何人かで歌うシーンが出てくる。

なんといっても監督の思いが前面にでてるのは、2作とも、演奏シーンのだいじなところは、観衆を前にしたライブシーンじゃなくて、地味と言えば地味なレコーディングシーンなのだ。これめずらしいよ。音楽映画いくつもあるけれど、基本はライブだ。そのほうがドラマ的にいえば絶対盛り上がるし、絵になる。本作では、最初の大事なシーンはかれのギターと彼女のピアノのセッション。観客はいなくて(店員が1人でうなずいてるだけで)、2人が「このひと気持がつうじる!」と分かりあう、幸福そのもののシーンだ。

で、レコーディング。お金がない彼らはプロのレコーディングスタジオを1昼夜だけ借りる。なんかダルい仕事だなぁという顔をしていたエンジニアは、1曲目を聞いて表情が変わり、やる気になる。ありがちだけどいいシーンだ。ひととおりレコーディングとミックスが終わると「スタジオのモニタースピーカーの音だけじゃ分からない、俺の車のカーステで聴いてチェックしよう」なんていって全員で海岸までドライブして、青春ぽい海岸おおはしゃぎシーンになる。リスナーが日常聴く環境でチェックするのは現場でもやることらしい。とにかく監督には思いがあるんだろうね。音楽を「つくる」っていうところに。

お話は、もちろんかれと彼女のラブストーリーでもある。でもね。そこは。おもしろい指摘がこのブログにあった。アイルランドは2000年代の強烈な経済成長で一気に豊かな国になって、街の整備も進んだし、2005年にEUに加盟して移動しやすくなった東欧からの移民も増えた。彼女はチェコからの移民。仕事があまりなくて、移民同士アパートに集まってすみ、ハウスクリーニングの仕事をし、花を売り、ビッグイシューを売って日銭をかせぐ。けれど作り手たちは経済成長後のダブリンの空気をあえて映画に写し込まないようにしたそうだ(だけど東欧移民がふつうにいる風景はいまのダブリンなのだ)。それがノスタルジーなのかアンチグローバリゼーションなのかは分からない。『はじまりのうた』のNYもクラシックでしっとりした街に撮られていた。
ところで彼女役のマルケタ・イグロヴァさんが着ている古着ジャケットがかわいいんだよなあ。ツイードのテイラードジャケット。ちょっと昔ふうで、肩が狭くて身頃をあんまり絞ってない。ああいうの、今年の冬にほしくなった。