テナント


<予告編>
ストーリー:パリのアパートメントに入居を申し込む若い男がいた。愛想がよくてそこそこお金も持っている。部屋の前の住人は若い女。彼女は部屋の窓から飛び降りて重傷だという。けっきょく彼女は死に、男ははれて部屋の住人になる。でも隣人たちは全員どこか不吉な雰囲気で、ちょっとした騒音にも大事のように騒ぎたてる。どうも死んだ女は隣人たちのいやがらせで自殺に追い込まれたようなのだ。知らず知らずのうちに彼女をトレースさせられていると感じる男は危機感をつのらせる.....

この映画のなんともいえないところは、「病んでる」以外のなにものでもない主人公を監督自身が演じてるというところだろう。作者と、作品の病みっぷりの距離感がつかめないのだ。これだけこういうタイプを作り続けるんだから当然監督には資質があるんだろうけど、ある種の観察として、おかしくなっていく主人公を突き放して見てるのか、もっと入り込んでしまってるのか.....
本作とあわせてポランスキーの「アパート3部作」といわれる『反撥』と『ローズマリーの赤ちゃん』。『反撥』は性恐怖症の若い女性が妄想をふくらませていって破裂する話だった。ウサギの姿煮みたいな料理がやがて腐敗して死んだ胎児じみてくる気持ち悪さと、壁から無数の手が出てきてうごめく妄想シーンがキてたね。『ローズマリー』は、妊娠の不安と、自分たちの空間とプライバシーが不気味な隣人に侵入される気持ち悪さと悪魔信仰のオカルティックなネタが同居していた。
本作でも主人公の妄想、隣人たちの気持ち悪さ、描かれるのはほぼその2点だ。『ローズマリー』と似ているのは、老人に対する嫌悪感みたいなものが濃厚に香るところだ。老人というべきか、若い主人公にとっての大人というべきか、かれらは不吉で、なにを考えているのか分からず、強迫的だ。ふつうのおじさんおばさんとかおばあさんが怪物的になって迫ってくるのだ。

演出はしょうしょう大げさに感じる。ライティングははなから影が濃くて不吉だし、ショッキングなシーンでは不協和音がジャーンと鳴る。主人公は途中からどんどん妄想が膨らんで、異常行動が目立つようになるんだけど、なんでその妄想にとりつかれたのかいまひとつ明快じゃない。もっと明快じゃないのは、「死んだ前の住人をトレースさせられている」妄想の主人公が、その女に近づくために女装しはじめるのだ。なんで自分から同一化しはじめたんだっけ? 原作がそうなのかな。
この女装、比較的かわいい童顔のポランスキーだけど、ここは男の娘ふうにほんとに可愛くせず、「おっさんの女装」の典型的な滑稽さと醜さを見せる距離感を残している。いずれにしても、3部作共通だけど、妄想と強迫観念のはてには解放はないのだ。「解放があるとすれば破滅することによってだけ」というのが監督のケリのつけかたなんだろうか。