恋の渦


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ストーリー:5人の男と4人の女。男兄弟2人はそれぞれ彼女と同棲していてそれ以外はみんなフリー。ある夜、いちばんさえない男に女を紹介する鍋パーティーで全員が出会ったのをきっかけにいろんな関係が動きはじめる。

この映画の舞台は男たちが住む4つの小さな部屋。映す角度も限定して、小さい世界の中を人物が行ったり来たりするお話だ。原作の舞台劇は下の写真。4つの部屋を映画でいうスプリットスクリーンで見せるつくりだ。映画のそれぞれの部屋も舞台セットの雰囲気によくにている。舞台がどんな演出かはしらないけれど、このセットだとカットバック、つまり場面の切り替えが早いペースでできそうで、もちろん同時に喋らすこともできるから、いろんなことが同時並行的に起きている感じは映画よりあるのかもしれない。

映画では、最初の全員集合シーンだけ、わざと全員同時にしゃべらせてがやがやしたノイズ風に聞かせる。でもそのあとはオーソドックスに交互のセリフで通す。それにめまぐるしく舞台を切り替えない。シーンをひとしきり見せて「いっぽうこちらでは」くらいの感覚だ。そのせいか、人物が行き来する間、つまりまったく映されていない部屋と部屋とのあいだがやけに意識される。距離も時間もね。舞台にわりと忠実な映画のセットだけど、舞台とちがうところがある。舞台では青く目立っている窓が映画ではまったく写らないのだ。あってもカーテンで隠されていて、ようするに外の様子は完全にわからないようになっている。
4つの部屋の世界ではボスキャラの男が優位だ。彼はわりと色んなところに顔を出すし、マイペースで過ごして帰っていく。でもちいさい部屋で充足しているということはつまり外部がないということだ。ほかの男女は仕事があったり大学があったり故郷があったり頼る相手がいたり、なにかある。外部が意外な面として現れはじめると関係も変わったり、違って見えてきたりする。映画はその部分でスリルを持続していて、小さい話だけど飽きさせない。でもボスキャラ男には観客に見えている部分しかなくて、最後はそれがオチになる。
観客に見せないところがキーになるのはわりとあるテクだ。多視点モノは特にそうだ。『運命じゃないひと』はこのタイプの佳作だった。この映画は多視点というのとはちょっとちがう。だいたい観客に見えているところではたいしたことは起こらない。じゃあなにがスリルかというと、さっき書いたみたいに「ええっ、そうだったの!?」」という、じつはもう起こっていたことがわかる、というところなのだ。とはいっても、群像劇スタイルで、そのときどきの中心をおきかえて真相を見せる感じは『運命じゃないひと』に似ている。
それよりなにより、部屋と部屋とのあいだに夜の街(たぶん東京)が茫漠と広がっているのがひしひしと感じられるのだ。まったく金持ちじゃなく、かれらのほとんどはそうなるあてもなく、とりあえずいま目の前の男や女に必死になってる登場人物たち。かれらを無言で飲込む見えない空間。舞台がずっと夜っていうこともあってそのなんともいえない不気味さがベースラインに流れている感じがする。時間のきれめきれめで流す『Be My Baby』風のサウンドロゴが原曲より微妙にチープなのもいい。