そこのみにて光り輝く


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ストーリー:採石場で働いていた達夫(綾野剛)は後輩が死んだの事故への自責の念に耐えられず仕事をやめる。函館の街でぶらぶらパチンコしていた 達夫に声をかけてきたのが仮出所中の拓児(菅田将暉)。誘われるままに家についていくとそこは海に近いボロ小屋だった。奥から出てきた託児の姉、千夏(池脇千鶴)に達夫は惹きつけられる。でも千夏は託児の身元引受人の造園会社社長、中島(高橋和也)の愛人で、他にも体を売って寝たきりの父や家族を養っていた….
これいっちゃうと始まらないかもしれないが、綾野剛がはまり役に思えなかった。きれいすぎじゃない? 本人もたぶんそれは感じていて、撮影中、毎晩街場に飲みに行って酒でむくんだ顔で演技したといっている。でもやっぱりきれいな男がたまたまやさぐれてるみたいに見えるんだよね。汚い金髪の菅田将暉のほうはすっぽりはまる。実に自然だ。逆に何かの手違いでもし若手弁護士役とかやらされたら気の毒なことになるだろう。

達夫は日本映画でおなじみの「癒せない哀しみをかかえた寡黙なわけあり男」。不器用・無骨・無愛想(かつ誠実でやさしい)の3Bキャラはわりと序盤からわかって、それが裏切られそうな予感もあまりしない。例えばだけどこの役が新井浩文だったら一気に緊迫感が増すはずだ。しずかにしていても禍々しさの予感がかすかにある。惚れたという設定の千夏にどんなふうにアプローチするか、千夏を離さない中島にどう出るか…….でもそういう緊迫感はとりあえずここにはない。描き方としても必要なかったんだろう。そのかわり綾野剛の意味ありげアップとかがそこここにある。なんかそんな印象があるのだ。そのせいですこし間延びして感じたところも正直あった。ま、あれだ、最初のカットでいきなり横たわる綾野剛セミヌードを足もとからずーっと見せてるくらいだから、イケメン鑑賞映画要素は間違いなくある。
この物語は性が罪や不幸のシンボルでもあり、振り捨てられないしがらみでもあり、いっぽう美しい救いでもある。千夏はそれを一身で受けとめる役だ。千夏は主要な男たちとそれぞれの形で性的につながる。悪役の中島も、その「悪」はセックスで表現される。家族の救いのなさも性で語られる。でも若くて一番性欲が強いはずの拓児はいっさいセックスにからまない。拓児はいろんなものをがつがつよく食べる。そのかわり女に興味を見せることは一度もないのだ。拓児は刑務所帰りでわかりやすい「罪」を犯す役だけど、その彼が物語の中で一番イノセントなのが物語のコアかもしれない。彼は無邪気で楽天的である分、もろさ・弱さの象徴でもあって、話の後半で「これはなんかおこるぞ.....このままうまくいくわけねぇ」展開になると、犠牲になるとしたら拓児だろうということはすぐに予想がついてしまう。「童子」的なんだよね。民話でいう。

函館はいったことない。でもベタな「港と夜景の街、函館」的な場所がいっさい映されていないのはわかる。控えめにみても30年はたっていそうなアパート、飲屋街、造船所が対岸に見える濁った海、非日常的にぼろい家。観光地的函館を感じるのはときどき映る、いい感じに海が見える坂くらいだ。そんな風景をカメラマンはときになんでもないように、ときにきれいなライティングで夢みたいに撮る。濁った海に浮かぶ2人のラブシーンは映画の中でいちばんうつくしい。中島が千夏を乗せた黒い旧型ベンツで森の中の山道を下る長いシーンもやけに印象に残った。函館市も全面バックアップの感じでロケ地をばっちり紹介している