春原さんのうた

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ストーリー:美術館での仕事を辞めて桜が見える古民家風カフェでアルバイトを始めた沙知(荒木千佳)。知り合いのおじさんが故郷に帰るのであいたアパートの部屋に引越しをする。家具もそのままだ。淡々と暮らす沙知をなぜか心配して色々な人たちが訪ねてくる..... 原作は東直子の短歌「転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー

2022年1月公開。飯田橋ギンレイホールで見た。ものすごくざっくりいうと24歳の一人暮らしの女性の淡々とした日常を描いたスケッチ的な映画だ。ありますよね。キラキラした職業とか綺麗なマンション暮らしじゃ今更リアリティ無さすぎでしょ、というここ10年くらいの描き方だ。TVではまだあるのかも知れない。ぼくが見るような映画では、主人公は東京でも地に足がついたエリアの古いアパートを自分らしいちょっとした美意識でスタイリングして...という感じだ。

本作は飛び抜けて地に足がついている。アパートは知人のおじさんの部屋を居抜きで引き継いで、外光を入れていい雰囲気で写しているけれど、美意識とかのレベルじゃない。ファッションで何か主張しようという志向にも見えない。勤めているカフェは実在で、これも民家をうまく使ってチープな内装はそのままに外の桜や里山を借景にしているような店だ。お客さんもお洒落系よりは色んな年代の、その街にいそうな人たち。

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©Genuine Light Pictures

でも、分かりやすい癒し系の日常映画じゃない。観客に与える説明は最小限で、見ている僕たちは「この物語はどこへ行くんだ?」という妙な緊張感と集中をしいられるのだ。登場人物たちの関係も説明しない。たまに「おじさん」とか「おばさん」と呼ぶから想像はつくけれど、似たような年上の女性たちが様々に登場してくるから誰がどんな関係かも分かりにくいのだ。

撮り方の1番の特徴は主人公たちの行動を映像じゃなく音で伝えるところだ。例えば主人公の部屋をフィックスで見せるカメラがある。人物が入ってくる。でもすぐに脇の部屋に入って見えなくなる。そこで水音や金属があたる音が聞こえて台所で支度し始めたのがわかる....。知り合いのバイクが来たのが分かるのも音だし、あるシーンでは見えない誰かが吹く笛の音でちょっとしたドラマが展開する。

映像の外で起こっていることを音で観客に分からせる手法は普通にある。でもここまで徹底してやって見せるのはなかなかない。そのために音声はクリアに具体的にデザインされていて、街のノイズも常に聞かせる。BGMは非常に少ない。しかも分かりやすくエモーションをかき立てるシーンでかかるわけじゃなく、どことなく不吉な響きでさえあるのでミスリードされかねないのだ。

音声について1つだけ好みじゃなかったのは、なんだろう、セリフの音がちょっと近すぎる気がした。映画の中の女性たちはコミュニケーションを柔らかくするために常に笑う。ハッピーなシーンでなくても常に笑い声が入る。だんだんそれが居心地悪くなった。もう少し離れて聞こえていた方が僕の距離感としてはちょうどよかった。

そんなふうに物語の説明は最小限だけど、主人公をとりまく風景は、とても丁寧に、具体的にイメージが沸くように撮られている。本作は東京西部の2つの街が舞台だ。小竹向原聖蹟桜ヶ丘。主人公が住んでいるのは小竹向原。駅前の景色がうまく切り取られて、実際より田舎の街風に見える。カフェが聖蹟桜ヶ丘。川に面していて、向こう側に多摩丘陵の森が見えるから、最初は「どこの地方都市だろう?」と思った。『偶然と想像』と同じ撮影監督の手で、なんてことない郊外の2つの街は、美しすぎもせず、でもなんとも味わいある場所に撮られている。

本作はコロナ禍まっただなかで撮影された。小規模な作品だから街でのロケではマスク姿の通行人たちも写り込んでしまう。主人公たちもその時代のドキュメンタリーとしてマスクをしている。だからよけいに主人公から読み取れる表情も減っている。自分がつくづくマスクにうんざりしてるから、映像の中でもマスクなのは少し息苦しかったけどね...

そんな感じで、本作は知識なしでまず見るのがおすすめだ。たぶんすぐに理解させずに限られた情報から想像を広げて欲しいんだろう。公式サイトも見ないでいい気がする。説明が少ないとはいえ、ある時点でどんな物語かは分かるようにできている。

ちなみに最小限いうと、監督が「裏の原作」と言っている東直子のもう一首

夜が明けてやはり淋しい春の野をふたり歩いてゆくはずでした