『25時』


<予告編> 
ここでのホフマンは主人公のドラッグディーラー、モンティ(エドワード・ノートン)の幼馴染みジェイコブ役。まじめでお固い上流ユダヤ系の高校教師だ。セクシーな女生徒に内心興味しんしんだけど、育った道徳観もあるし手をだしたら免職どころか犯罪になるから、その辺はきっちり線を引く。けれど放課後、深夜にモンティたちに連れられてクラブに行くとそこで彼女に再会してしまう。勝手に酔っぱらってだんだんアレなことになる生徒。さて先生は… 
監督スパイク・・リーはどこかきっちりした倫理観を持っているイメージがある。最初のころはプロテストの声をストレートに映画に乗せるタイプだった(し、今も立場は変わらないだろうけど)から、お行儀のいい映画とは逆の存在に見ていた。でも90年代後半以降の問題作にときどきある、メッセージを強烈に伝えるために倫理のたががはずれたみたいなえぐい展開にするのは彼の作風とはちがう。逆に近年は『インサイド・マン』みたいにどこか端正なサスペンスを撮る作家、というポジションにも見える。暴力描写もすごく抑制がきいてるんだよね。
この映画もわりと端正だ。話はモンティが麻薬所持で服役が決まり、拘禁される前日1日のできごとをおう。ある暴力がストーリーのクライマックスになるんだけど、そこもいきすぎた感じはまったくなく、ヒューマンドラマ内の暴力だ。ジェイコブも想像をはみ出すほどのことにはならない。ホフマンの何となく不穏なキャラから、どこかで爆発するのか…?と期待半分で見ていると、結局はそういう裏の顔みたいなものは出てこないで、まじめで誠実なジェイコブのキャラクターのまま最後までいく。そこは少し肩すかしだった。

それよりもう一人の幼馴染み、フランク役のバリー・ペッパーがいい。若い頃のクリストファー・ウォーケン風、ドラッグならぬ株式ディーラーで、序盤からとうてい善人には見えない顔つきなんだけど、意外に情にあつく、固い友情をこころに秘めていた人間だったのだ。このあたりのキャラと役者のミスマッチ感が逆によかった。どっちかというとストーリー上の「友情」の熱い部分はフランクとモンティの間にある。ジェイコブはそこを中和するほわっとした存在だから、妙に強烈なことをはじめてしまうとなんだか拡散してしまうんだろうね。
スパイク・リーらしく、主人公のアイリッシュという血へのこだわり、ニューヨーク生まれらしい思いの吐き出し(前年に起きた9.11への思いも)、エスニックグループへのちょっと風刺めいたシーンがある。このシーンなんかストーリー上はまったくいらないのだ。それでも描く。それがスパイク。