ニッポン建設映像祭 番外編


<主催者web>
今回はちょっと変わった映像について書きましょう。この前見に行ったのでね。これまでに何度かおこなわれていたイベントで、評判だったから一度見てみたかったのだ。
「建設映像」というのは、事業者や建設会社が自分のプロジェクトの記録を短編映画風にまとめたもの。ちゃんと劇伴(音楽)が入り、ナレーションが入り、それなりに見やすいようにきちんと編集されている。主催者のはなしではこういうものは戦前からあったそうだ。初期は国家プロジェクトの土木工事が多くて、ニュース映画として劇場でながされていた。戦後の建築工事の記録は、だいたい自社の社員教育やプロモーションツールに使われ、古くなると倉庫のかたすみに放置されて、今ではその会社のだれもこの映画についてはわからない、みたいな存在だそうだ。今回上映されたのは1950年代から1970年までの十数年間の作品5本。高度成長期だから、自然を「開発」して技術力で「近代的」「文化的」な施設を立ち上げる営みが迷いもなく賛美されている。だから観客はナレーションに笑いをもらしたりツッコミを入れたくなったりするんだけど、それはね。時代というものでしょう。前にも書いたけど『フィッツカラルド』の、アマゾンの密林を伐開する事業家に今のスタンスでケチをつけてもはじまらない、のと同じこと。
で、今回のラインナップは・・・
・東京タワー建設(1957-58)
説明不要、『Always3丁目の夕日』のリアル版(庶民の生活描写・堀北真希抜き)。更地の芝公園から基礎工事、4本の脚がつながってアーチができるところ、そこからどんどんと伸び、とんでもない足場でとびが歩き回るシーンや、打込みのためにカンカンに焼いたリベットを放り投げ、それを取付け職人が妙なじょうごで受け取るトリッキーなシーンなど見どころは多い。昼間の移動と会議の疲れで何度か寝落ちしてしまったのが悔やまれる・・・はっと気がつくとタワーは東京のはれた空に向かってすでに屹立していた。ときどき青空バックに赤い幾何学形態をびしっとした構図で入れる、ロシア構成主義みたいな画面があっていい。
千里ニュータウンの造成と建築(1956-57)

住宅公団制作。千里の旧市街地の風景があまりにもしぶい。黒い瓦一色の家並み。その脇にある小山なのか石切り場なのか、微妙な丘陵を土木部隊が切り崩して造成するまでが前編。大型ブルドーザーのすぐ脇や下方にカメラを据えて撮ったりして、なかなか意欲的だ。「自然の山も近代技術の前にはひとたまりもありません」調のナレーションが時代感をかもしだす。後編はスターハウス(訪問した人のブログ)や4層くらいの鉄筋コンクリートづくりの住棟が1年たらずの工期で一気に出来上がるようす。これがまた時代感十分で、作業の多くが人力なのだ。コンクリート工事だって、機械に投入するのも、出て来たドロドロの生コンをその場所まで運ぶのも人力。2輪の手押し車で運ぶんだけど、量から想像するとよゆうで500キロ、下手すると1トン近くある。昔の建設労働ってすげえな、とつくづく思うよ。最後は「住宅公団の歌」をえんえんと流しつつ楽しい引越し風景と団地ライフが写される。小津安二郎秋刀魚の味』だったか、佐田啓二の夫婦が団地にすんでモダンなライフを満喫する描写があったな。ゴルフクラブを欲しがったりして。
パレスサイドビル(1964-66)
これは最近亡くなった林昌二の代表作の一つ。現役の建物で、アーケード部分はだれでも入れる。パレスサイドビルは、毎日新聞リーダーズダイジェスト社の共同オフィス構想で、竣工パーティーの場面では米側の関係者、岸信介田中角栄社会党の石橋など色々な政治家がうつり、戦後の日米のつながりを想像すると味わい深い。建設工事の描写が10年くらい前の千里ニュータウンから格段に進化していて、素人目には今の建設現場とあまり変わらない。ラストでは日米のメディア企業のオフィス風景が写されるんだけど、リーダーズダイジェストのおしゃれ美人OL(当時だとBGか?)がクールに働く風景と、毎日新聞の、異様に高密度にネクタイYシャツの男たちが集結するカオスな風景との落差にはびびらざるをえない。
大阪万博パビリオン建設(1969-70)
岩波映画制作。だからか映像が一気に洗練され、千里の時からどんな技術的断絶があったんだろうとちょっと呆然としてしまう。もう現代のドキュメンタリー映像の文法と基本的にちがわない印象で、映像だって十分きれいだ。ディレクターの好みなのかズームで人々の表情を切り取った短いカットをたたみかけるシーンが多い。大成建設大阪万博のために同時に19棟だかのパビリオンを建設し、どれも変わった意匠や構造なので、破綻なくすすめるために統合本部みたいなものを置いたそうだ。映画はそのおかげでいかにうまく行ったかという自画自賛モノ。ここでも日米の技術者のコラボシーンが出てくる。言葉が通じているかあやしいものだけど、プロジェクトの成功にがっちり握手したりしている。その後の怪獣映画でもときどきそんな感じあったね。
京都国際会館(1963−66)
建築家大谷幸夫がまるで一からプランを考えてるみたいなシーンから始まる。じっさいはコンペで勝っているんだからふつうに解説してもらえばいいんだろうけど、周囲を暗く落として建築家本人に演技をさせ、なかなか意欲的。そのあとは工事のシーン、竣工後の全体やディティールの紹介になる。全体が60−70年代特有のアヴァンギャルド感というか、独特のテンションに満ちている。音楽には現代音楽の大家、一柳慧をフィーチャー、その組合わせも含めて前に紹介した『戒厳令』を思わせる仕上がりだ。だから高らかに自社の業績をうたいあげる映像のはずなのに、ラストは不吉そのもののディミニッシュコードの連発になる。ちなみに序盤のシーンで「京都がいかに因襲に呪縛されて近代化し切れていないか」的な文脈で街並の映像がながれるんだけど、町家が一面に残り、街路が拡幅・舗装されていない京都のエキゾチックさは半端ない。当時はつくづくそういうのも嫌悪されていたんだねえ。
というわけで、今回の映像祭、なかなかラインナップが巧みだなと感心してしまった。わずか十数年でがらっと技術も映像も風景も変わってしまったみたいに思えてくるのだ。実際にそうだった部分も、そうでなかった部分もあるんだろう。80年代以降くらいになると、建設映像も工法の1部とか技術の宣伝みたいなのが多くなり、少しつまらなくなるという。そしてコストをかけられない今はそれすらも激減した。ゲストスピーカーが言っていた、「かつては建設現場は町中からもよく見えた、建設は社会的なものだったのだ。今では安全もあって仮囲いで遮蔽してしまって、このプロセスも不可視になってしまっている」にはたしかにな、と思った。とにかくこれ、建築に興味なくてもふつうに戦後映像として面白いですよ。