オーケストラ


<公式>
クライマックスシーンのための映画、ってある。ラスト10何分がすべてで、そこまでは助走にすぎないみたいなね。『オーケストラ』もそういう映画だ。開始後110分までにいろいろ不満はたまるんだけど、クライマックスの12分でぜんぶ洗い流されて、心地よいカタルシスとうるんだ目だけが残る。
元指揮者のアンドレイが主人公。彼はソビエト時代の30年前に音楽界から追放された。1枚の出演依頼FAXからなりすましオーケストラ構想を思いついた彼は、いまはばらばらになった当時の楽団員に声をかけ、因縁のある共産党幹部をマネージャーに使って、プロモーターをだまくらかしてパリまでコンサートツアーに行く。彼が共演にリクエストしたのはパリ在住の美しいヴァイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)・・・。
で、この映画、困った映画ではあるのだ。途中まではあんまりできがいいと思えないしね・・・。 前半の語り口なんておせじにも達者とは言えない。ファーストシーンで惨めな境遇にいるアンドレイをちらっと描き、偶然FAXを見た瞬間、なりすましを思いつくという風に進むんだけど、ここが妙に早い。もう少し惨めなエピソードを重ねないと、そこからの脱出への動機にならないのだ。逆にいきなりFAXのシーンがあって、そこから状況説明しはじめるならそれはそれで分かるんだけど。
過去の状況説明は、登場人物たちが説明的なセリフを連発して、しかもその後回想シーンがインサートされたりする。ここだって回想をちょっと長めに、例えば主人公の悪夢みたいにして説明できそうなものだ。そして楽団の再結成からパリへ行くまでは珍妙なコメディタッチになる。意味不明なパーティー銃撃戦があったり、楽団員が全員アホになってプロモーターに銭をせびったり。
設定も今ひとつ飲み込みづらい。30年前に解散した楽団を呼び集めているのなら、全員60は過ぎていそうだけど、なにげに平均年齢は40代にしか見えない。(追記。ここはぼくの見まちがい。演奏シーン見てみたら、ほとんどはちゃんと相応に、それぞれな感じで年をとった楽団員たちだ)パリにつくと全員練習そっちのけで町中に四散するのだが、どういうわけか到着1日目で全員何か仕事を始めている。これ、なんの設定? 
・・・・・でも、そんなダメさ加減が、すべてラストのコンサートシーンとのコントラストのためにわざとやってるんじゃないかと思ってしまうほどラストはいい。第三楽章まであるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をうまく編集して始まりからエンディングまで切れ目なしの演奏シーンに仕上げる。もちろん曲の力もおおきいだろう。チャイコフスキーといえば『ブラック・スワン』の白鳥の湖もそうだけど、テーマが一見ベタなくらいにドラマチックな名曲たちはそのままドラマの盛り上がりにシンクロする。
でも演奏はぼろぼろだ。マニアでなくても音が合っていないことがわかる。しかも映画は親切に楽団員の不安と失望の表情を抜いていく。客演のアンヌ=マリーも固い表情。練習しない楽団、アル中の指揮者にすでに絶望していたのだ。しかし彼女がある譜面を元にソロパートを弾きはじめたとたんすべてが変わる。ここも楽団員たちのはっとした表情を分かりやすく見せていく。ここから後は舞台上は歓喜の場に変わっていくだろう。 音楽の間にアンドレイの独白が入り、語られなかった30年前の因縁が明かされる。 エピソード映像も、コミカルな映像は明るい曲調のパート、ドラマチックな映像は荘重なパートに合わせて、一曲でありながら劇判みたいに使う。ちなみにしかしあれだ、ここで後日談的なシーンが入っているんだけど、あれはどう見てもいらない。だってこの曲が感動的に演じ切れたところで十分だもの。

さてこの映画、フランス映画だけど監督はユダヤ系のルーマニア人だ。共産党末期のチャウシェスク政権下から亡命してパリで映画キャリアをつんだ人だ。物語には、いまでも共産党にとどめを刺したい監督の思いが強烈にただよっているし、ヨーロッパでずっとしいたげられてきた民族への思いもみえる。30年前の因縁というのはブレジネフ政権がユダヤ人を冷遇したことから起きていて、再結集する楽団員たちは濃厚にユダヤ的な人たちだ。浅黒い顔のコンサートマスターはロマ(いわゆるジプシー)。あの民族独特のダンス用の早いテンポのヴァイオリンを弾いてみせるかと思うと、西欧クラシックの高いテクニックもみせつける。監督はあえて楽団員を非西欧の人々で編成して、彼らが古典の音楽でパリの観客たちを感動させるシーンをつくってみせた。さっき変だと言った、楽団員たちがパリに着くといきなりバイトをはじめる件も、国境を越えたユダヤやロマの民族的なコネクションの強さを表現しているのかもね、とも思う。
このブログでも民族と音楽の映画をいくつも見ている。『ヴィットリオ広場のオーケストラ』(物語構造も少し似ている)『ジプシーキャラバン』『ラッチョ・ドロ―ム』 とかね。本作はふつうのハートウォーミングな音楽コメディとして見ても、たぶん十分楽しい。ただ、あえて少数民族をハイライトするような、現代ヨーロッパ的な視線もこの映画のほんらいの色なんだろうと思う。