アヴァロン


<参考>
いま見ると、非常に微妙な後味になるのはしょうがない。やっぱり2001年に見るべきだったんだろう。いまさら、当時の表現レベルでこの映画がどのあたりのポジションにいたかなんて分かりようもない。この映画の価値はCGと実写とアニメーションの境界がなくなっていく過程のひとつの実験、というところだろうし、それを抜きにしてクラシックになるタイプとじゃない。つまりは『トロン』みたいなポジションだろう。『マトリックス』もそうだけど、あれがクラシックになりつつあるのは、アイコン的なイメージの強さがある。
あと、押井守のテーマでもあるからしかたないけれど、ゲーム上の仮想空間の物語そのものが、この表現とあまりにひとつの世界としてまとまってしまっている気がする。古典的な探索モノの要素、過去の恋人との再会などを骨格にしてはいるんだが、要するに『スターウォーズ』が表現上のあたらしさと、物語の古典的な強度のコントラストで受け入れられた、みたいな感じではないということだ。
押井の作品はもともと『スターウォーズ』とは違う意味で表現と内容にギャップがあったといっていい。つまり乱暴にいえば、子ども用表現であるセルアニメと大人向け社会派ストーリーやメタ表現が一体になっているギャップが売りだったわけで、ここではその売りはすてているのだ。
ヨーロッパっぽい薄暗い、クラシックな、ひんやりとした風景をセピア色に加工して夢幻的に見せ、コンピュータ画面らしい画像をインサートしてコントラストを見せる。それにポーランド軍の協力で実現した本物の戦車と攻撃ヘリの映像。
もちろんそれなりに格好いい。でもおどろくようなイメージの飛翔はない。これが純然たるセルアニメーションだったら、その表現上の制約ゆえに、もっとずっと「ありがたみ」を感じたかも、って思う(フルCGじゃありがたくないね)。もちろんこれは単に好みの部分もある。ぼくもマンガで育った線画好きの典型的日本人観客だ。監督としてはセルアニメの制限はじゃまだし、工芸品みたいに嗜好されたくもないんだろう。それはわかるんだけど、つまりあえて他所の「土俵」にあがるのは難しいんだね、ってことだけどね・・・