ソング・オブ・ザ・シー


<公式>
ストーリーアイルランドの孤島にある灯台。主人公ベンの一家は島のたった1つの家族だ。お父さんのコナーはいつも沈みがち。ベンの妹シーシャが生まれたとき最愛の妻がいなくなってしまったからだ。シーシャは言葉がしゃべれない。お母さんがいなくなった原因だと思うとベンはシーシャをかわいがる気になれない。孤独な一家を心配して、街にすむコナーの母はとうとう子供たちを連れて行ってしまう。「島へ帰りたい!」家を脱出したベンをシーシャが追いかけてくる。海へむかう2人。でもだんだんとシーシャの生気がなくなっていく。シーシャは海にすむ妖精、セルキーの血をうけついだ子だったのだ……

舞台は、アイルランドのどこなんだろう。たぶん北よりの、大西洋に面した海沿いなんじゃないか。マップで見てみた。スコットランドの映画でも感じた地の果て感。それともうひとつ。海辺に街がほとんどないのだ。街は内陸にある。海辺はほんとうに地の果てだ。これには理由があって、アイルランドは魚食の文化がたとえば北欧にくらべるとうすいのだ。加工をしない海産物は貧者の食べ物だったそうで、そういうこともあって漁業があまり発達していない。だから海辺に集落をつくる必然性がないんだろう。地の果ての土地で、海運を発達させる必要だってない。このお話でも、海に面して住んでいるのは主人公の家族だけで、おばあさんが住む街は、海からバスで延々と走ったさきにある。そんな文化での「海」は、どうだろう、たぶん少し遠くから見つめる対象なんだろうか。

さて、本作の公式ページをみると文部科学省特別選定作品!とトップに出てくる。どういう制度なのかよく知らないが、公式に子供の教育にふさわしいと認定されてるのはまちがいない。わからないでもない、見ているときから、こりゃものすごく教育によろしい映画だと思った。それは「正しいメッセージ」が「情緒的に適切な表現」で伝わるから、というだけじゃない。映像のうつくしさが、感性の教育としてもぴったりだからだ。
ディズニー(やピクサー)の上質なCGアニメーション、もちろん美しい。でも、なんだろうなあ、色彩設計とかもすごくロジカルなノウハウを感じてしまうところがある。上質な子供用玩具(ただしプラスチック)の色彩みたいなね。本作は背景を水彩で手描きし、それをコンピュータに取り込んで加工する。そこだけとると『イリュージョニスト』的だけど、画面の印象ではよりCG的な『アズールとアスマール』に近い。ようするにリアルな風景画じゃなく、様式化した風景なのだ。本作ではアイルランドの歴史的ルーツ、ケルト的うずまき模様もモチーフになる。宮崎・細田作品とかの自然や田園の風景との違いもそこだ。監督は『かぐやひめの物語』に「これだ、やられた」的印象をうけたというけれど、いまあげたみたいな各国の作品たちは、おおきくいえば同じような方向をむいている表現なんだろう。CGと、伝統文化の色が濃い手描き背景のハイブリッド。様式的な背景の上でキャラクターをうごかすアニメはヨーロッパでは伝統があるのかもしれない。ロシアのこんなのとかこんなのとかね。

人物たちは、ひとむかし前の子供用ものがたりアニメのデフォルメを感じる。ただし子供たちの目のきらきら具合は日本アニメの影響かもしれない。これ、思うけれど、『インサイド・ヘッド』とか『アナ雪』『ズートピア』とか一連のキャラクターデザインの目の強調ぶり、あれはやっぱり日本アニメを見慣れた観客にあわせているんじゃないのかね。ちなみに本作はヨーロッパの批評筋からは「日本のアニメっぽい」と言われたそうだけど、アクションぽいシーンの動画の構図なんてたしかにそんな印象がある。カメラにむかってクローズアップになりながら飛んでくる感じとかね。
物語の世界はアイルランド伝統の妖精、アザラシのセルキー伝説がメインだ。セルキーは海中にいるときはアザラシの毛皮の中にいて、陸にあがるとそれを脱いで人間の女性の姿になる。人間と恋をして、毛皮を失うとふつうの人として生きるけれど、ひとたび毛皮をまとうと海にかえってしまうのだ。アイルランド民話にあまり詳しくないけれど、物語の途中ででてくるフクロウの妖精や(湯婆婆そのもの)、ディーナ・シーとよばれるその他もろもろ的な妖精たち、それに意味ありげな地下の水脈や森のなかの開けた場所、泉なんかが少年の冒険の舞台になる。

そして、もちろん家族の物語。ここはてらいなく、子供たちを愛するお父さんお母さん、いじわるだったけど本当は妹を愛するお兄さんのストレートなお話だ。ヨーロッパ観客にアラブ文化へのリスペクトを問う『アズールとアスマール』や、古い物語の主人公を社会に抑圧された女性として描く『かぐや姫の物語』みたいな政治性はうすい。お話は2重構造になっていて、妖精や伝説の世界での老母の息子への思いが、人間の世界の母のコナーへの思いとパラレルになっている。非常にわかりやすく、見た目もそれぞれそっくりだ。さいきんベタな物語に涙もろくなってきたぼくはクライマックスでほろりときてしまった。じつをいうと一番ほろっときたのは家族のエモーショナルな部分より、妖精たちがあちこちでいっせいにかなでる音楽が世界を動かしていくシーンだ。タイトルどおり。主人公は「うた」でもあるのだ。