イリュージョニスト 


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この映画はジャック・タチというコメディアン/映画作家の存在によって意味付けられているから、もしぜんぜんタチを知らないとしたら少しもったいない(参考HP)。脚本はタチの未発表脚本がベースになっている。まあ映像だけでも十分楽しめるけどね。タチは1930年代からミュージックホールでパントマイムをはじめ、1949年から1974年まで何本かの映画を製作した(これとかこれとか)。本人が主演だから、映画はパントマイム的な動きの面白さをフィーチャーした、セリフにたよらない映画だ。本人も戦前のハリウッドのサイレントコメディーをこのうえなく愛していた。
そのタチを深く愛するのがこの映画の監督、シルヴァン・ショメだ。前作『ベルヴィル・ランデヴー』もセリフはそれほど重要じゃなく、絵のタッチと動きと音楽で見せていたけれど、今度は脚本、主演もタチだから、自然とサイレント風の映画になる。セリフはほんの数行分しかない。あとはSEとしての人の声があるだけ。主人公はタチの本名であるタチシェフで、その姿も忠実に彼のルックスを再現している。背が高いエレガントな老人だ。いつもスーツを着こなし、ズボンのすそはほそくて短く、靴にむかってたるみもなくすぼまっていく。
物語は『マイ・フェア・レディ』的というか、あかぬけない田舎娘が主人公の手をかりて都会的な女性になり・・という流れと、1960年ころの、戦前からあったミュージックホールやステージのショーがすたれてロックンロールに代表されるポップカルチャーが台頭してくる時代のうつりかわり、という流れがパラレルにえがかれる。ゆるやかに下り坂を降りていく主人公、それと対照的に急角度で成長していく娘。主人公側の視点でずっと描かれるから、時の移り変わりはいっそう哀調をおびる。

主人公は年老いたマジシャン(=イリュージョニスト)で、パリでの仕事が減って、プロモーターのあっせんのままにスコットランドで仕事をする。メジャーな都市ではもうクラシックな奇術は受けない。ロックンロールのショーのほうがだんぜん客が呼べるのだ。でも寒村に行くとまだまだ客は感心してくれる。宿ではたらいていた少女は彼を異国の魔法使いかなにかだと思い込み、ちょっとした好意で赤い靴を買ってやるといきなり彼のどさ回りについてきてしまう。
大都会のエディンバラに来ると少女の欲望はもう止まらない。刺激する商品や洗練された女たちがまわりじゅうにいるのだ。でも都会は老奇術師にはきびしい。本業は減り、みじめなアルバイトばかりになってくる。それでもときどき彼は無理して服やハイヒールを少女に買ってやる。同年代の仲間たちがステージの仕事をあきらめるのを見ながら、とうとう自分もマジックのパートナーだったウサギを草原に離してしまう。ウサギはキャラ化されていなくてリアルな動きだけで表現されるんだけど、ぐっとくるシーンだ。いっぽうの少女はいつの間にか洗練された都会の女になり、こぎれいな若者に出会って・・・

監督は物語の舞台を原作のプラハからスコットランドエディンバラにうつしている。彼自身がそこに住み、仕事場もあったらしいけれどこの仕事のためだったのかもしれない。ていねいに描かれるこの町とスコットランドの田舎の風景は、ぼくがいままでに見たアニメーションのなかでも文句なしのトップクラスの美しさだ。申しわけないけどジブリ職人集団の背景より美しく感じる。ジブリの場合、絵であることは見せつつもできるだけリアルに細密に描き込むことが多いでしょう? この映画では細部はかなり省略して水彩画の濃淡のように色合いで現実感を出すのだ。イギリスは18〜19世紀に水彩の風景画がすごく発達した。田園地帯や森、遺跡や廃墟・・それは明治以降に日本に入ってきて、今の日本の絵画愛好家が好んで描く水彩風景画の源流になってるともいえる。おもうにショメはそんな英国風美学に敬意を表した部分もあるんだろう。
日光、雲、水滴、煙など「現象」もすごくていねいに再現する。これを記号でなく再現しようとする作家はすごく少ない。架空のカメラのレンズに水滴をかけたりもしている(ちょっと悪ノリにも見えるけどね)。坂の多いエディンバラの町の高低を誇張してダイナミックな丘陵都市に描いている。本物を見たことがないのがちょっとくやしくなるような、すごく魅力的な町にみえる。『ベルヴィル』とおなじく、自動車はCGのフレームに手描きの絵を貼り込んで、動きがとても気持ちいい。なかでもサスペンションの動きを強調していて、車の大小のダンピング(道のデコボコでの上下動)がこまかく再現されてこれも気持ちいいのだ。日本のアニメでも最近は見る手法だけど、動きに誇張がなくていい。
キャラクターは動きを少し戯画化した、ちょっと不思議で、パントマイム的な動きとむかしのディズニーなどのアメリカ性カートゥーンの動きのミックスのようだ。そんななかに、細かく細かく少女のしぐさや主人公の手の動きなどのニュアンスが挟み込まれる。キャラクターデザインは、特におじさんたちの造形が魅力的だ。基本的にそれほどアップを多用せずに全身の動きでキャラクターを表現するので、どのおじさんも体型と動きが誇張される。うまい漫画家の絵はたいてい美女よりおじさんに魅力がある、という世界的な現象はここでもあたっている。トータルして『ベルヴィル』にくらべると誇張や戯画化の程度がさがり、もうすこしリアル寄りの描写になっていて、その分エレガントで受入れやすい絵になっているという感じ。
元の脚本はタチが自分の娘に残したものなんだそうだ。物語の中の娘はけっして単純に愛らしいキャラクターじゃない。どちらかといえば自分の欲望しかなくて、無理してプレゼントをくれる主人公の気持ちに思いをはせるところまで成長しないままにおわってしまう。それでも「自分は魔術師じゃないんだ」という彼のマジックなのか誰のおかげでもない成長というマジックなのか、ひとりの娘は別人に変身したのだ。