紀子の食卓

愛のむきだし』のあとにさかのぼって見た、園子温監督の2007年の作品。『自殺サークル』(2002)の続編でもある。『むき出し』とこの映画だけの印象だけど、園子温監督の作風はけっこう唯一無二だと思うが、それはある部分に関してはすぱっと割り切り、自分の大事な部分に全精力を注ぎこむ、という姿勢からうまれているような気がする。

割り切りの一つはリアリティについてだ。映画におけるリアリティというのは、結局観客を共感させるためのブリッジだろうと思う。荒唐無稽なアイディアに迫真性を与えるために理屈の裏付けをする、実際に起こりそうな題材を取り上げる、ある世界を忠実に再現する・・・ふたつの映画とも題材は日常から完全に遊離した世界じゃなく、どこかつながった異世界だが、それを現実とつなぐディティールにはそれほど力が入っていないように見える。たとえば「女子高生集団自殺」、新宿駅のホームで54人の女子高生が手をつないだまま中央線に飛び込んで血の洪水を巻き起こすというシーン。理屈で考えれば一列に線路上に飛び降りた人間を、駅に入ってきた電車が全員轢き殺せるはずがない。あるいは紀子の故郷と東京の関係。紀子の自宅は伊豆なのだ。いくら高校生といっても東京との距離感は未知の世界というほどじゃないだろう。その種の、見方によっては詰めが甘く見える部分はときどきある。

割り切りのもう一つは、無理にオリジナルなアイディアにこだわらないということだ。『愛のむきだし』でも映画やドラマのクリシェを積極的に取り込んでいたが、たとえば女子高生集団自殺は、よりマイナーながら、80年代後半の中森明夫の小説『オシャレ泥棒』をなぜか思い出してしまった。あるいは、主人公の女子高生(吹石一恵)がつまらない日常の反転としてネットのダークな掲示板にはまっていて、それが自殺サークルにつながっているというプロット。コイロンロッカーベイビーという設定。それからレンタル家族というプロットもそうだ。これ、物語のコアなのだが、1990年代にはドラマ『家族さがし』『世にも奇妙な物語』の1エピソード、山村美紗の『レンタル家族殺人事件』などいろいろあった。 レンタル家族という題材は、ビジネスのための虚構の家族を取り上げて、当然に血のつながった家族の虚構性を逆照射するという方向に行くだろう。この映画ももちろんそうで、そういった意味での新しさはない。
園子温監督の良さは、あくまでいい意味で言うのだが男子中学生的妄想力じゃないだろうか。まとまりの良さや首尾一貫性や目新しさよりも、まさに妄想力の炸裂による強烈なイメージをいかに画面にぶち込むか、そして理屈の部分のリアリティじゃなく、実体験のどこかで覚えた感情を呼び起こし、深い部分でリアリティを感じさせる、というところが監督のエナジーの焦点なんだろうと思う。

さてこの映画、前半は、フラストレーションを抱えたもっさりした女子高生紀子(吹石一恵)が家を飛び出る、青春映画+ホームドラマ的なちょっとダルな世界。中盤からレンタル家族が前面に出てくる。その主宰者であり、紀子たちのグルであるクミコ(つぐみ)がものすごくいい。吹石のもっさり感はつぐみのシャープさを引立てるためでもあったことがよくわかる。さらに紀子の後を追って家をとびだし、同じ世界に入ってくる妹ユカ(吉高由里子)の可愛く怖い少女ぶりも各所で絶賛されている。園監督の武器のひとつは、多分若い女優から通常以上の演技を引出して、エロティックな面も含めてためらいなくそれを写しとる、という部分にあるんだろうなと思う。吹石一恵は主演扱いだが、二人のシャープさを受けるどんくさい存在として機能する。

さて、こうした少女たちの「家族」への反乱にあって、紀子たちの父親(光石研)は無様に、このうえなく哀れに敗北する。父親は娘たちをあきらめきれずに捜し回るが、崩壊した家族の象徴である、古い世界の住人というふうに描かれる。流れとしては、彼は被害者的立ち位置で呆然と見守るしかできなさそうなものだが、この映画の独特なところは、その父親がラストに向かって急激にパワーアップするところにある。父は奇妙な情熱で、すべてを巻き込んでシュール極まりない世界へと全員を連れて行く。
そのプロットは『愛のむきだし』の、カルトに取り込まれて擬似家族にいた両親と妹を、荒唐無稽な暴力性を発揮して引きずりだした主人公の姿にそのまま引き継がれる。ちなみに「むき出し」の、カルト本部で擬似家族たちが鍋をつついて談笑しているシーンの意味が、こっちを観てやっと分かった。

とにかくこの映画、普通の家族自体がもつ擬似家族性、つまり家族内のふるまいですら、外部にある「家族のふるまい」を参照しながらそれを演じる、という面をこれ以上ないくらい異様に、シンボリックに描き出している。崩壊した家族を再生するために、その擬似スタイルで演じるしかないのだ。使い古されたはずのプロットやシーンが最後のシュールなシーンに至って新鮮な驚きに転化する。『愛のむきだし』ほどじゃないにしても十分に長い本編だが、中盤以降はハイテンションで突っ走る、骨太系日本映画だ。