トーク・トゥ・ハー

<予告編>

アルモドヴァルの映画の中では構成がかっちりしていて、すごく明快なストーリー。ある種寓話的なアンリアルな物語で「ボルベール」よりはかなり重い、一筋縄ではいかない「愛」のかたちを描いていて、人によっては嫌悪感を抱くだろうけど、そのテーマはずっしーんとリアルに迫ってきた。<以下ネタバレあり>

この映画は二組のカップルが描かれる。それぞれの愛し方とその行く末と。カップAは旅のライター、マルコと女闘牛士、リディア。カップBは看護師と患者の関係。男性看護師ベニグノと美しいバレエダンサー、アリシアA,Bふたつのカップルが出会うのはベニグノが働く病院だ。リディアが闘牛で重傷を負い、昏睡状態に陥ってしまったのだ。
ふつうの観客が感情移入できるのはカップAのマルコだろう。これまで何度でも描かれてきた、献身的な愛を注ぐ良識的な男の姿だ。彼女が元気なときから彼は守るように寄り添ってきたし、彼女もそれに応えた。しかしいま彼はそれを失おうとしている。クラシックな愛と喪失の物語だ。
ではカップBのベニグノはというと。彼もまたアリシアを愛しているし、彼女の美しさを保つために異常なほどこまめに世話をやく。アリシアもそれを受け入れている。・・・なぜ受け入れるかといえば、それは彼女もまた昏睡状態だからだ。 彼は決して拒否されることのない一方的な愛に耽溺している男なのだ。少なくとも女性の観客には共感できない人が多いだろう。アリシアに意識があればたぶんこのカップルは成立しない。彼は母親と密着しすぎて他の女性と縁がなく、女性にストーカーのように一方的にしか近づけないし、ルックスも冴えない。相手に「目」があり、自分の存在を認識しているかぎり彼の愛は成就しなかった。相手が「目」を閉じてはじめて彼はカップルとして寄り添うことができるようになったのだ。あまりにも歪んだ弱者の愛だ。しかしこの映画が描きたいのはカップBの愛の形なのだ。
ベニグノは自分と同じように昏睡した女性を愛する境遇になったマルコに親近感を覚えて近づく。この物語でのカップAは、やや危険なカップBの愛の形と対比させるため「まともな」愛の形をしめす役割をもっている。おなじ昏睡者への愛といっても、逆なのだ。Aは昏睡によって失われつつある愛、Bは昏睡しているからこそ成立した愛。「まともな」Aの愛は二重の意味で失われる。リディアは事故に遭う直前、前の男とよりを戻すため、マルコに別れを切りだそうとしていたのだ。彼はリディアを看取る権利を失い、まもなく彼女は死ぬ。心と心が通じ合う「まともな」愛は、はかないものとして描かれ、マルコはすべてを失って病院を去る。
カップBの愛は、その意味では失われるおそれがない。ベニグノさえ思い続けていれば永遠に続くのだ。ある日ベニグノは奇妙な無声映画を見に行き、その晩スキャンダルを起こす。劇中劇である無声映画が本編のテーマそのものでもある。こんな感じだ。
『主人公の男がおかしな薬を飲んでどんどん体が小さくなり、一寸法師化してしまう。彼は恋人と別れ母親の元でくらすが、やがて恋人が彼を助け出しにくる。ホテルに泊まった晩、熟睡している恋人の体を主人公は探検する。そして、彼は決心して恋人の体のある部分へと入っていく。彼女は眠りながら悦ぶ。多分男は二度とそこから出てこない。』
…非常に分かりやすいシンボリズムだ。女を愛し悦ばすと同時に男は消滅する。ときどき女性と寝ることを「喰う」というけど、そういう強者の立場じゃなく、女よりはるかに小さくいわば「喰われる」ことによって悦ばす存在だ。男のほうからすれば性行為と胎内回帰が一体化している世界でもあるし、ある種のマゾヒズムともいえる。かつてひさうちみちおという漫画家がいて(今何をしているんだろう?)彼の漫画に、男が進化して性器に虫のような脚がついただけの存在になる、というのがあった。この無声映画とほとんど同質のイマジネーションといっていいだろう。それはあまりにゆがんでいるけれど、それはエゴのない「無償の愛」のひとつのバリエーションなのだ。
マルコの愛がはかなく失われるのに対し、この物語ではベニグノの歪んだ愛が奇跡をおこす。しかし、だからといってベニグノの愛が「まともな」愛へと変貌していくようではあまりにファンタジックなストーリーということになるだろう。彼の運命は無声映画とパラレルになり、最終的に彼は消滅する。彼は自分の消滅と引き換えに彼女に最大の献身をすることができたのだ。そしてラストでは監督のバランス感覚か、「まとも」な愛の勝利がほのめかされる。
ちなみに、女闘牛士リディアが最初にマルコと近づいたのは、彼女が自宅にいた蛇におびえたから。そして最終的には闘牛中に牡牛の暴力の元に死ぬ。蛇、牡牛。神話的世界ではどちらもマッチョな多産のシンボルだ。闘牛士という戦士でありながら男性原理的なものにじゅうりんされる彼女…それはなんだったんだろう。