愛のむきだし

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4時間まとまった暇があり、単純に面白い娯楽映画を見たければ、ぴったりの一本だ。監督自身が「ライバルはケータイ小説」といっているくらいで、あれこれ考える前にどんどん出来事が起こるジェットコースタームービーだ。
主人公は神父の息子、ユウ(西島隆弘)。ストーリーの前半は「罪をおかす」ことで父に愛されようとしていたユウが、自分が愛する対象である運命のヒロイン、ヨーコ(満島ひかり)と出会うまで。後半では、ラブコメよろしく血のつながらない妹になってしまい、全く自分を愛してくれないヨーコが、怪しい新興宗教の教団に父母ごと取り込まれ、ユウは単身それを救いに行く。

この映画、ものすごくざっくりいえば『キル・ビル』だ。ヒネってはいるが、ストレートな娯楽作であり、美しいヒロインを楽しむちょいエロアイドル映画であり、「女の暴力性」を視覚的に楽しむアクションでもあり、そしてなにより過去のB級映画たちの既視感あふれる映像の引用を大量に詰め込んだ、サンプリング世代の映画だ。映画の語り口も、ちょっとタランティーノ風に語り手を変えて時間を巻き戻したり、という小技を使って、効果的に中盤のクライマックスを盛り上げる。

このうえなく日本ぽい映画でもある。たとえばハードな運命を背負う主人公たちが、少年少女だということ。過酷すぎる生い立ちから独特な力を身につけ、世界と対峙する男女。それが高校生なのだ。つねに中高生がロボットに乗って世界を救いつづける日本だから、戦う女たちも女子高生になる。そして大人の観客がごく自然にそれに感情移入して楽しむ… それに映像のサンプリング元も、日本のB級映画やドラマの豊潤なアーカイブだ。分かりやすくオマージュをささげている、梶芽衣子の「女囚さそり」。キル・ビルとの兄弟関係がここにも出ているともいえる(梶芽衣子の「怨みます」がキル・ビルで使われていたのは有名)。

その他、暴走族や、ヒロインに絡む不良グループの描き方、その格闘シーン、顔のアップの時の変なズーミング、日本映画ではおなじみの、年式の古い中古車を使ったチープなカーアクション、美人転校生シーン。仕込みモロ出しの血糊、そして感動的ではあるのだが、ラストシーンのあの感じ。…すべでが「ああ、こういうのあった!」といいたくなるすばらしきお約束の引用だ。女子高生がカンフーマスター、という設定も『チョコレート・ファイター』がすでにある(日本じゃないがな)。

全体の印象としては、そんな感じでお約束を多用しているわりには、いかにもサンプリングしました、的見せ方ではないので、単なるベタなB級に見えるおそれもある。常套句だらけにもみえてしまうのだ。でもそれが、荒唐無稽ともいえるストーリーを見やすくする効果も上げている。ストーリーは実話である「盗撮スターと新興宗教にはまった妹」話をふくらませた、少年ユウが男へと成長するビルドゥングスロマン+一途に愛を求めるストレートなラブストーリーなのだが、かなり極端な設定やエピソードがくっついでいるので、「いかにもありそう」という意味でのリアリティは全く消失している。感動する前に「なんじゃこりゃ?」となるおそれもある。これをつなぎ止めているのが、見慣れた数々のシーンで、これがギャグ混じりで入るので、観客もある意味、ああ笑えばいいのね、感動すればいいのね、みたいに楽に飲み込めるようになっている。カタルシスが必要な所ではちゃんと爆発が起こったりする。

ユウは、洗脳されたヨーコに、そのにせものの世界からこっちの世界に戻ってこい、という。クリスチャンであるユウが新興宗教をにせものと言い飛ばしてしまうのはどこか簡単すぎるような気もしたが(そのわりに他の言動には信者めいたものはあまりない)、監督はたぶんあえて新興宗教をヒーロー物の悪の秘密結社のように描いている。ヘンにこちらの教団のコンセプトや事情や人間的な部分を描き込まず、この物語では単純な悪役としてだけ描く。この割と手軽な描き方は前作『紀子の食卓』のレンタル家族会社の描写とよく似ている。記号的なメンバーの中で唯一なまなましい実在感をあふれ出させているのがコイケ(安藤サクラ)だ。ヨーコ(満島ひかり)がある種おはなしのための類型的なキャラクターなのに対して(演技そのものに類型を超えたパワーがあるという感じ)、コイケはちょっと見たことがない少女像で、演技もほぼ怪演という言葉がふさわしい。体つきもふくめて、22歳(当時)とは思えない異様な重厚さだ。