ビッグシック



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ストーリー:シカゴのアパートメントに友だちと住むクメイル(クメイル・ナンジアニ)はスタンダップ・コメディアン。でも生活費はUberの運転手で稼いでいる。クメイルはパキスタン移民の子。郊外の実家はあんがいリッチそうで、兄夫婦と両親とときどき夕食を囲む。すると必ず「ちょっと顔を出した」パキスタン人のお嬢さんが隣に座る。としごろの男女は両親の仕切りでこうやって見合い結婚をするのだ。そんなクメイルのステージにお客さんに来ていたのがエミリー(ゾーイ・カザン)。2人はひかれあい、つき合うことになる。でもあることがきっかけで、エミリーはもう一緒にはいられないと離れていった。別れた2人は意外なところで再会することになる。原因不明の奇病で倒れたエミリーの病室に、クメイルが呼ばれたのだ。医師は生命の危険があるから人為的に昏睡させるしかないという。他に親族はおらず、クメイルの同意で昏睡状態になったエミリーのもとに、会ったことがない両親(ホリー・ハンター、レイ・ロマノ)がやってくる…..
クメイル・ナンジアニ。もちろん知らなかった。アメリカではそれなりに売れているコメディアンだそうだ。本作は彼とかれの奥さんの出会いのじっさいを、プロデューサー、ジャド・アパトーのすすめで夫婦で脚本化し、主役クメイルは本人出演で撮った……「ハートウォーミングラブ&ファミリーストーリーコメディー」だ。文字通り心暖まり、いやなストレスもない。時々ある「全員善人映画」(あっそうか、途中の1人を除く)で、ハッピーエンドは本人たちを見れば分かるから、最後まで安心して心地よく見られる。
主役のクメイルも映画のトーンと似て柔らかい雰囲気だ。ヒゲを剃っていることもあり、インド系のなかではベビーフェイスで愛嬌があるし、体もそんなに大きくなくてぽにょっとしているし、あと話し方も柔らかい。ちなみにインド系の人々が話しているのを(たとえばインド料理屋で)聴いてると、どことなく愛嬌がある発声だなと思うことがある。言葉の発音の関係か、あまり体で響かせないで口のへんで共鳴させている気がするのだ。まぁそれはともかく、クメイルのアクセントも発声もソフトだ。
スタンダップコメディの世界はなんとも、面白さが掴めていないこともあって、映画の中でステージに立つクメイルのトークもまるで可笑しくなかった。これが演出上「そんなに可笑しくないコメディアン」なのか、そこそこいつものネタだけど、こっちが笑えないのかわからない。で、これは伝統というか出発点なんだろう、当然のように民族ネタで始める。パキスタン人って...みたいな感じで面白おかしく紹介するわけだ。映画で見せるのはほんとに基礎編で、1度きけば分かるネタだから、じっさいのステージではもう少しひねったり拡げたりはしてるんだろう。

ステージはともかく、その他の部分にはそこそこ笑いを入れてきて、適度にリラックスさせる。お話としてはシリアスになるエミリーの昏睡後、エミリーの両親とクメイルがなんだかんだで協力するようになるところは、むしろ笑いネタが増えてる気がする。このあたりも深刻な人種の衝突はない。エミリーの両親は、はじめはクメイルにとげとげしい。「付き添ってくれてありがとう。もう帰っていいよ」という態度だ。でもそれは娘を泣かせた優柔不断な男に怒っていただけで、父親はすぐに彼を受入れるし、母親も2人で彼のステージを見にきてからは、仲間として迎え入れるようになる。とてもリベラルな2人だ。
本作では、『デトロイト』にあったみたいなひりひりした人種のあつれきの描写は抑えめだ。それよりはカルチャーギャップだったり、おなじ移民の中でも本国の価値観をがっちり守っている両親や兄と、物心ついてからアメリカにいて、アメリカ文化の子になっているクメイルとの断絶のほうをていねいに描く。もちろん、インドやアラブ系の人が911以降のアメリカで暮らすストレスはちらちらと出るし、クメイルのネタのスパイスにもなっている。
ちょっと物悲しいエピソードがある。実家にお見合いにくる何人ものお嬢さん(全員けっこうな美女!)の中にもクメイル的な、内面はアメリカナイズされている人もいて、彼女はひとめでクメイルが同類だと分かる。夕食が終わって、家に送っていくと彼女はカジュアルな雰囲気にもどり「両親抜きでまた会わない?」という。でも、大きく言えばそれもかれらの因習的な見合いのわくぐみの中の話で、クメイルはそれに耐えられないのだ。クメイルはお見合いをすべて断わるけれど、家族の心情を思うとお見合い写真を捨てることはできず、どんどん溜まっていく…...

映画は、クメイルとエミリーの出会いの、第一幕を描いている。ネタバレにならない程度にいえば「シカゴ編」だ。第二幕をたぶんいろいろあったはずだけど、そこはすっとばす。アメリカの観客からすれば、あとは映画じゃなくてもTVかなにかで今の2人は見られるわけだ。そのぶん、まあ実話としては十分にドラマチックなんだけど、「小品」といいたくなるさりげないお話だった。
クメイル以外、ヒロインのゾーイ・カザン(『ルビー・スパークス』)はアメリカの文系女子的な雰囲気を相変わらずうまく出し、あとエミリーの両親もとても魅力的。この2人いかんで映画の魅力も決まってしまうわけで。とちゅうでヒロインが無言になってしまうこのお話では、事実上の主役なだからね。お母さんは強気で、お父さんはもっさりとして微妙に的がはずれた感じがじつにいい。