ノーカントリー −2


その1
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この物語、追われる者と追う者のクライムムービーとしてだけ見ても充分スリリングだ。コーエンらしい映画全体のトーンの統一感は文句なしに格好いい(中西部砂漠の、乾いた黄褐色をベースにした画面の色彩も)。 変に盛り上げる音楽はゼロ。びっくり屋敷風の突然の大音響もない。それでもCG満載、ギミック一杯のありがち大作にまったくおとらない緊迫感・密度感がある。 ・・・そしてなにより出演者たちの人物造形がすばらしい。前のエントリーで細かく紹介した原作小説は、訳文のせいもあるのか正直それほど面白く感じなかった。でも映画のシノプスとしては最高の素材だろう。

「この国は人に厳しい」
この物語の精神はほぼこのセリフに集約されている。これはラスト近く、ベルが先輩シェリフでもある叔父を訪ねて語り合うシーンで叔父がもらすひとことだ。世の中が殺伐としてきて、理解不能な殺人が起こり、自分の力ではなにもできない無力感に引退を決意したベル。叔父は自分の上の世代のシェリフも自宅で襲撃されて殺され、妻は固い大地を掘ってその死体を埋葬した話をする。叔父自身も前に犯罪者に襲われて車椅子の生活なのだ。 ・・・要するにはじめからこの国=アメリカはCountory for old Menではないのだ。

事実上の主人公モス。彼は「人に厳しい」国で生きる男の理想像みたいなものだ。開拓時代のヒーローの典型といってもいい。抽象的な世界に関心がなく、ふりかかる運命は受け入れる、徹底的にプラグマティックな人間だ。知的に見えるタイプではないが、生き抜くために必要な知恵と、肉体の強靭さを持っている。 用心深く、危険に敏感で、危機に陥ったときの判断も早く、ほとんどミスがない(夜中に現場に戻ってマフィアに見つかった最大のミスをのぞいて)。 その時々で必要な道具を知っていて、それを使いこなし、時には作る。 映画では長い話はいっさいしないし、必要以上に感情もゆれうごかない。相手が勝てそうにない強大な暴力だと分かっても一旦決めたことは変えない。

一見理解不能な殺し屋、シュガーは、この国の原理主義的な厳しさ・暴力的な歴史 をそのまま人物造形したみたいなキャラクターだ。ただのいかれたシリアルキラーでは全然なく、登場人物のなかでも最もおだやかに、知的に語る。シュガー役のハピエル・バルデムも「神話的な存在なんだ」といっているように、モス以上に感情がうごかず、いつも超然と殺人をおかす。 ・・・彼は2回、コイントスで相手の運命を決めようという申し出をする。でも結果に彼がしたがうかはわからない。コイントスというのはそういうものだ(『ダークナイト』のハービー・デントがいい例!)。 実際には相手の運命を決めている彼が、まるで神が運命を決めていると偽装しているようなもので、コインを投げる彼自身を神に擬する行為ともいえる。それをモスの妻が喝破する。でもその後、シュガー自身が前触れのない暴力=自動車事故で突然重傷を負い、モスが前にしたことと同じことをするハメになる。シュガーもやはり信念に生き、生き抜くための手順を知り、それを実行できる開拓者的な魅力をたたえている。

ベルは、映画では観客をすこし失望させるくらい「守りに入った」人間として描かれている。 彼は事情を知っていても動かない。 最後に銃を持ってシュガーがいるモーテルの部屋に踏み込んだけれど、そこまでだった。 でも観客は彼を軽蔑できないだろう。 ベルこそ自分たちだからだ。 モスのようでありたい。けれどモスもまた暴力の前には無力だった。 ・・・彼よりも無力な自分たちが圧倒的な力に対して何かできる? 彼は引き下がり、神の不在をなげくしかない。
そして映画と原作のラストシーン、ベルの二つの夢の話になる。親への裏切りにたいする罪悪感を象徴するような、「父からもらった金をなくしてしまった」夢。それに「寒い、暗い、雪の山中で父が自分を追い越していく。父は牛の角のトーチを持っていて、自分は先に行った父が待っていることを知っている」夢。山の中、森の中はもともと欧米文化にとっては文明の届かない暗部、冥府の入口のようなところだ。しかも雪も降っている。二人は死へと向かう、希望のない世界を進んでいるのかもしれない。そんななかで父がともす炎がやがて自分にも受け継がれる。・・・自分はそれを確信している。無慈悲な世界でも何かの信念あるいは約束を受け継いで生きていかなければならない、というふうに。

この物語は80年代のテキサス州国境地帯が舞台で、メキシカンマフィアの跋扈や、麻薬産業の急拡大もとうぜん大きなテーマだ。そしてモス、ウェルズとも(ひょっとしてシュガーも)約10年前におわったベトナム戦争では優秀な兵士だった。物語にはそういう社会派的テーマももちろんあるだろう。原作ではもうすこしそのテイストが濃い。・・・でも、どうなんだろう。原作だって2005年に書かれているのだ。そこで80年代の社会問題を取り上げてもはじまらないだろう。現代につながる問題を言いたいのならもっと近い時代を舞台にしたほうがいい。設定は物語のリアリティのためにあって、物語のトーンはもっと普遍的なものだという気がする。


結論。『善兵衛、1度目よりも2度目のほうが染み入る。クラシックになる映画!』