迷子の警察音楽隊



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警察音楽隊」はアラブの伝統音楽を演奏するエジプトの楽隊だ。でも、最後の演奏シーンまで一度も楽器を手にしない(ついでにセリフもしゃべらない)メンバーが何人もいる。ひとついえることはこの映画、音楽映画では少なくともないということだ。 じゃあなにか。 旅の映画か? ・・・でも楽団員が旅を続けるロードムービーでもない。 短い旅のなかの、本当にちょっとしたふれあいの一夜を描いた映画だ。出演者も、そのなかに盛り込まれたできごともとてもすくない。

楽隊は、微妙な関係の隣国、イスラエルへ演奏旅行に来た。 それでも舞台設定されている1991年頃は中東和平が一瞬進んだ時期で、アラブ諸国のなかではエジプトはもっともイスラエルと対話ができていた国でもある。 30代のイスラエル人監督は政治的な波紋や文化的な摩擦について露骨に描く気はないようだ。 出資する団体から、もっと政治的なあれこれや、それを乗り越えるエピソードを盛り込むように要請されたそうだけれど、結局「それでは僕の映画ではなくなる」といってこういうパーソナルなタッチの映画にしたらしい。 多分、そういう摩擦を描いた映画はいくらでもあるだろう。 監督はあえてそれを排除して、「ふつうの人同士」として両者を描いたんだろうと思う。

警察音楽隊を迎えるのはイスラエルの田舎とも郊外ともいえない中途半端な町のひとびと。 町の入口にある食堂の女主人と常連客のさえない30男と若者の3人だ。 かれらは、なんの抵抗もなく、困っている楽団員たちに一夜の宿を提供する。
エジプト人たちを突然家に招くことになった家族は、もちろん気まずい雰囲気の中にどっぷりつかるけれど、それは楽団員がロシア人でも中国人でもありえる話のように見える。 2つの国の住人たちはおたがいの言葉はさっぱりわからないから、たどたどしい英語で喋る。 ・・・・これは良くも悪くも世界中であること。トルコでもインドネシアでもネイティブでない人同士の英語がかえって通じやすかったりする。

言葉だけではなくて、家族と楽団員がすこし打ち解けるのは、お互いが知っていた「Summer Time」を歌うからだし、対立していた二人の楽団員が理解しあうのも「My funny valentine」を奏でるからだ。 若者たちはローラーディスコ(っていうのか!?)で、ダサいDJのかける音楽に乗って文化を越えた初恋のぎごちなさみたいなのを共有する。
地球の反対側のアメリカ文化が二つの近くて遠い文化の人々をさりげなくむすびつける。 ムバラクとラビンを結びつけたカーターの顔を浮かべる必要はないだろうけども。 世界のあまりにも多くの国で憎悪の対象になるアメリカだが、そんな人々にとっても共有の言語となってしまうアメリカのポップカルチャー

ただ二つの文化をさりげなく結びつけるのは、アメリカだけではない。 話の後半で、女は楽団長に「子供の頃、エジプトの映画をテレビでよく見ていたの。 オマー・シャリフにあこがれたわ」と話しかける。 ポップカルチャーの力みたいなのをさりげなく語っているような気がする。 これは監督の思い出でもあるらしい。

主人公の楽団長はアラブ社会の中でさえ時代遅れになっている伝統音楽をまもる頑固な男だ。 職業に誇りをもち、自分のスタイルをかたくなに守る。 女のさそいにもそうそう陥落するわけにはいかない(そのせいでかなりしょっぱいシーンに直面したりする)。 その裏返しとして若く、ナンパで、誰にもフレンドリーで、ジャズが大好きな色男の楽団員がいる。 苦々しく彼を見ていた楽団長だが、本人にしてもジャズが大好きなのだ。 

監督は言う。 今ではイスラエルの新しい空港にアラブ文字の案内はない。この国にもアラブ系イスラエル人はいくらでもいるのに。 だからエジプトの楽団員たちもどう行けばいいのか途方にくれる。 字は読めても、イスラエル人たちも途方にくれている。 


結論。『せっかく8人も楽団員がいるんだから、それぞれのキャラ立てればいいのに、と善兵衛の声』