新作映画はぱったりと止まった。製作のプロジェクトも止まるし、公開も延期・中止だ。苦しむ映画館のサポートキャンペーン、ごぞんじの方も多いと思う。ミニシアターエイドは全国のミニシアターを応援するクラウドファンディング。ぼくも収束後に劇場で映画が見られる「未来チケットコース」にささやかながら参加した。
ぼくが応援することにした逗子の小さな映画館でよくかかっているのがUPLINK配給の作品だ。劇場も持っているUPLINKはチケット収入がストップしたいま、配信で少しでも見てもらおうというキャンペーンを実施している。今回紹介するのはぼくも購入した「見放題60本」コースから2本、パレスチナ人監督ハニ・アブ・アサドの作品だ。
<公式>
ストーリー:サイードとハーレドの2人はイスラエルに占領されたパレスチナ自治区、ナブレスに住む若者。自動車修理工だった2人に指令が下る。テルアビブに潜入し自爆攻撃の実行者になるのだ。翌朝早朝に家を出て、アジトで殉教のポスターとビデオを撮影、爆弾を装着して境界線を越える。ところが想定外の展開になり、2人は離ればなれになってしまう....
2005年公開。アサド監督はイスラエル国籍を持ちイスラエルで暮らすパレスチナ人だ。自爆攻撃の実行者に選ばれた2人の若者の48時間を描く、とてもシンプルな物語だ。舞台のナブルスはヨルダン川西岸地帯の都市。撮影中もイスラエル軍攻撃で爆発があったりする危険な地帯だという。
映画は、自爆攻撃の計画が動き出してからのプロセスを描いていく。ある夜、顔見知りの組織の人間が声をかける。計画は翌日だ。その夜はいきなり別れの晩餐になる。もちろん家族にも計画のことは告げられない。朝早く組織のアジトに行き、撮影をし(かれらは市民たちの英雄になるのだ)、髪を刈って結婚式に行くようなスーツを着せられる。そして自分では外せない爆弾が体に巻き付けられるのだ。
そして用意された車で境界のフェンスを越えると、イスラエル領内にいる味方がピックアップしてテルアビブまで連れて行く計画だ。境界から海辺の街テルアビブまでは意外に近く、30〜40kmくらいしかない。
パレスチナの現状、ぼくは正直いって通り一遍しか分かってない。公式サイトの解説をまずは参考に。それからもう一つの『オマールの壁』の解説動画、日本のパレスチナ研究者のトークが生々しい。自治区というものの、実際は占領地で、圧倒的な軍事力と経済力の差はどうにもならないのだ。このNYTの翻訳記事をみるかぎり、パレスチナ側にはますます希望がない。
そんな中、本作は、急に指令が下る自爆攻撃に「いつでも心の準備が出来ている」若者の言い分をストレートに観客にぶつける。サイードが自分たちの絶望的な今と、攻撃に行くしかない思いを語るシーンが何度かある。パレスチナ人の中でももうひとつの意見として、モロッコから帰ってきた少し上流の女性、スーハがいる。彼女は非暴力でパレスチナ人の人権を訴える活動をしているのだ。自爆はかならず報復攻撃を呼ぶ。サイードに好意的だった彼女との言い合いのシーンもある。
....ここまで書くと猛烈に重い映画がイメージされてしまうかも。でも実はそうでもない。監督は他にも商業映画を撮っている人で、本作も「政治的なメッセージを含んだエンターティメント」にちゃんとなっている。自爆攻撃に向かうかれらをヒロイックに美化することもないし、出口がなく死を選ぶしかない悲惨な日常として描くわけでもない。
作戦に向かって、一旦戻ってきてしまった2人....死の世界に足を踏み入れたつもりだったのに、断ち切ったはずの日常の空間にもういちど包まれてしまう。そんな揺れ動く思いの部分も丁寧に描写されているし、スーハがバランサーとしてとても効いていて、それから描写もすごく抑制されていて暴力的なところはまったくない。
スーハがサイードと話しているなかで「日本のミニマリスト映画みたいな日常よ」というセリフがある。これは青山真治の『ユリイカ』のことだそうだ。
■オマールの壁
<公式>
ストーリー:オマール、アムジャド、タレクの3人は幼馴染み。タレクにはナディアという美しい妹がいる。パレスチナ自治区は壁と検問所で行き来がさえぎられ、検問所のイスラエル兵に理由もなく殴られる。ある晩3人は計画を実行に移す。イスラエル兵を狙撃したのだ。すぐに秘密警察が乗り込んできた。オマールは逃げ切れず捕らえられる。拷問を受けた後、かれは解放される。しかしそれはイスラエル側のスパイとしての任務と引き換えだった.....
原題は『Omar』。でもたしかに「壁」とタイトルに付けたくなるなるくらいに壁が印象的だ。ニュース映像でも見たことがあるコンクリートプレキャストの高い高い壁だ。トランプがメキシコ国境に作っているフェンスとも違う、まさに壁だ。物語の最初で、いきなりオマールがその壁をロープでよじ上り、向こう側に越えていく。
狙撃はされるけれど、ごくごく日常の雰囲気だ。友人のタレクに、その妹で相思相愛のナディアに会いにいくのだ。壁ってそんなに気軽に越えられるの?命がけじゃないのか。これも解説やインタビューに書いてある。壁は自治区とイスラエル地域の境界にあるわけじゃないのだ。自治区の中に、さまざまな理由で、でもパレスチナの都市を分断する形で延々と続いている。直線距離では近くても、ふつうのルートで行くと何キロも離れた検問所を通らないといけない。しかも検問所でも時間の予定が立てられないくらい待たされることもあるのだ。だからかれは壁を越えていく。
本作は『パラダイス・ナウ』と較べて、一段と取っ付きやすい映画になっている。登場人物がストレートにメッセージを主張することはもはやない。壁の件も含めて、パレスチナ自治区の実情を細かく説明することもしない。映画としては、青春・恋愛映画でもあるし、スパイの内面を描くスパイものでもあるし、イスラム都市独特の、建物が密集して迷路のような路地が続く空間をつかったアクションムービーでもある。
本作は、もちろんパレスチナ自治区の実情が基本になるけれど、「信頼と裏切り」のドラマとして組み立てられていて、むしろそっちが前面に出ている。抵抗組織の中のスパイの緊張感。友人同士、信じたい心情と疑念。結婚をのぞんでいる恋人たちの中にわき上がる不信。そして裏切りの構図を演出する知性を持つ敵。ストーリーはより複雑になっている。
オーディションで集めたという俳優たちも魅力的だ。3人の若者はみんな同じ坊主刈りだけど、オマールは2枚目の主役顔だし、リーダー格のタレクは頑固で誠実そう、アムジャドはその後の展開がじつに納得できる雰囲気の役者が選ばれて、キャラクターが明確だ。ヒロイン、ナディア役の女優も美しいし、敵役、イスラエル警察のベテランも、どこか信頼できそうな雰囲気のある人で、薄っぺらい悪役になっていない。彼だけはキャリアがある俳優だったそう。
でも製作体制は前作以上にピュアというか、パレスチナ資本だけで撮り、俳優もパレスチナ人だけだ。撮影は前作とおなじくナブルスとイスラエル領内のナザレだ。監督とおなじく主演の俳優もイスラエル国籍のパレスチナ人。
スパイと恋人のドラマでいえば『陸軍中野学校』があった。ああいう香りも少しただよっている。なんていうか、こういう映画は世界中の観客に自治区の問題と実態に関心を持ってもらう、入口としての意味がある。ちゃんと中が見える、開けやすいドアになっているのだ。
■画像は予告編からの引用