人のセックスを笑うな


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かっちりした映画を見続けた後に急にこういうのを見るとその意外さに顔がタテにのびてしまう気がする。ひとついえることはこの映画、オーガニック系のカフェごはんのような一本だということだ。チェーン展開のレストランみたいなキャッチーな一皿じゃないから、淡白ななかにしみじみと素材の滋味をさがしつつ、まったりと味わうのがただしい愉しみかただ。しかしチェーン店の料理は本部が決めたメニューを淡々とつくっているだけだけれど、オーガニック系カフェの古代米にはオーナーの濃い思い入れがみにゅっと染みこんでいたりする。この映画もそんな感じ。淡々とした雰囲気とうらはらに、脚本をかねる監督がかなりエゴイスティックに作り上げた「作品」という雰囲気だ。

ストーリーはこれ以上ないくらいおだやか。19歳の美大生と、39歳のリトグラフの講師との恋。それに美大生が好きなのに手をだせない同級生の女の子と、その子に惚れているのに相手にされないもう一人の同級生。誰かが突拍子もないことをするわけでもない、北関東の地方都市(桐生あたり)のしずかな一冬の物語だ。ダイナミズムを排して、ちょっとしたニュアンスや雰囲気に意識を向けてもらおう、という静かなアコースティックサウンドみたいな世界だ。男である僕からすると、主人公の「おぼえたて」的な舞い上がり感がなつかしくも照れくさいね。

この映画、内容的には小品だけど、上映時間は2時間17分とじゅうぶんに長い。そして何よりの特徴が、固定したカメラで一つのシーンの余韻の分まで延々と映し続ける長回し編集。はっきりいえばちょっと長すぎて、たぶんどこかで必ずダレる。製作者や編集が、もう少し詰めて気持ちいいリズムにしようかと思ってもおかしくない。でも結果的にはこうなった(20分くらいは詰めたらしいけど)。監督はインタビューで役者さんたちの演技に見とれて、カットがかけられなかった、みたいなことをいっているが、俳優のインタビューを見るかぎり逆だ。脚本の部分がおわっても演技させつづけて、俳優の地が出てしまうことを狙っていたみたいだし。

たしかに俳優たちのナチュラル系の芝居は見ていて気持ちがいい。脚本と、アドリブと、素とわからないくらい混じりあって、ほとんど声も張らずにおしゃべりは続く。なんだか自分が透明人間になって、ふつうに会話している人を眺めているみたいな微妙さもあるけれど、これはこれでじつにアリだ。松山ケンイチ永作博美と抱き合っているときはほんとに気持ちよさそうだし、永作博美の小悪魔系不思議ちゃんキャラも、ほどほどに大人の表情が混じって無理がない。蒼井優はあいかわらずうまい人だなあと感心してしまう。体の動かし方だけで性格も女性としての成熟度も表現している。彼女が一番「演技」していたような気がする。

でも、やっぱり長回しは微妙だなあ・・・俳優の演技の場面はともかく、「余韻カット」みたいな、動きのない景色のなかで点のように動く俳優を見せるシーンがあいだあいだにはさまれるのがあまりにも多くて、少々つらくなる。いまどきの、カットが細かくて情報量が多い画面になれてしまってるしね。まぁ、そのお陰で、北関東の田舎町の冬の空気感がすごく出ているのはたしかだけど。関東平野の晴れの多い冬景色。じっさいは季節風がきついしわりと殺風景な気もするが、可愛い出演者たちと可愛いピアノのBGM(じつをいうと最後の方で飽きたが)にいろどられて、なんだか可愛い景色に見える。   
それにしても日本は映画といいドラマといい、とにかく若者は川沿いの土手を走る。これはもはや伝統美そのものであり、この映画も思い切り走る。青春とはなぜこれほどまでに土手なのか。海外の日本青春映画ファンがいたら、日本ってかならず土手を通らないと家に帰れないところだと思うだろう。

結論。『ストーリーには<はあ?>だが、善兵衛の観客が好みのシーンを見つけられそう!』