ブレックファスト・クラブ


<予告編>
ストーリー:イリノイ州の高校。5人の生徒が土曜なのに学校にやってきた。それぞれちょっとした問題を起こして、反省文を書くために1日図書室にいなければいけないのだ。5人は同級生だけどほとんど知らない同士。なぜって学校内でのポジションがぜんぜん違うからだ。お嬢様で成績もよくて、クラスでも上位グループにいる<プリンセス>のクレア(モリー・リングウォルド)、スポーツ特待生になりそうな<アスリート>のアンドリュー(エミリオ・エステベス)、<ブレイン=ガリ勉>のブライアン、<バスケットケース=変わり者>のアリス、それに<クリミナル=ワル>のジョン(ジャド・ネルソン)。やたらと厳しい先生に締められてしぶしぶ図書室にこもる5人は、どうにもよそよそしかった。それでも時間がたつにつれて……

学校内の序列。いつのまにか、ぼくみたいな実態を知らない日本人は、「アメリカの高校は猛烈に厳格な学校内序列があって、下位のやつらは入学から卒業式のプロムまで悲惨な日々をすごしてる」という物語をいっしゅの知識として刷り込まれている。すくなくとも青春映画やドラマを見るかぎり、やっぱりよくいわれる、体育会系スターを頂点とする序列があるみたいに見える。当ブログだと『アメリカン・ティーン』『エレファント』、アメリカ以外だと『明日、君がいない』『桐島、部活やめるってよ』あたり、学校内序列が前面に出てくる。そんな世界を、エンターテイメント映画で正面から描いたパイオニアのひとつが本作だ。

学校はイリノイ州ひろびろした郊外らしい場所にある。シカゴ中心部から20kmくらい、ミシガン湖の近くだから、それこそ首都圏のレイクタウン、越谷あたりの雰囲気なのかもしれない。5人の生徒のうち4人は親の車で送られてくる。きびしいパパだったり固そうなママだったり。ちゃんと挨拶して降りる子もいれば悪態をついて後ろも見ないで学校に入る子もいる。そんななかで1人で歩いてくる子もいる。
よそよそしい5人をつなげるとしたら、無闇にきびしく抑圧的な先生への反抗心だけだ。先生はだれに対してもやさしくしないが、特に問題児のジョンをはげしく攻撃する。ジョンも悪さを見せびらかしたいタイプだから先生の怒りはますますエスカレートする。ジョンの攻撃は先生だけで止まらない。お嬢さんのクレアにもひよわなガリ勉のブライアンにも向けられる。ジョン役のジャド・ネルソンは当時25歳くらいだから、少々ふけて見えるけれど、ラテン系らしい微妙に哀調をおびた目つきもあって、「お前、もろい何かをワルのよろいで守ってるんだろう?」とすぐに観客が思うようなキャラだ。
じつをいうと他の子たちも、シニカルで冷たいキャラクターは1人もいなくて、全員いい子たちだ。本作はどこから見ても青春映画。見て欲しい観客も年代が近い少年少女たちだろう。監督ジョン・ヒューズの視線はあたたかく、ある場面では5人にアドリブで好きなように自分語りをさせて、なんというか、物語的にはげしすぎないストーリーの中で、5人の人となりと、すこしずつ氷が溶けるみたいな相互の理解を見せていく。

この映画、今見るとなんともいえず「よき80年代」的香りがただようよね。セットのちょっと平板なライティングもそうだし、なんともほほえましい脱走シーンの撮り方も、途中で1人がかける音楽にみんなでノリノリになって踊るダンスの振り付けもその画面も。それにジョンのファッションや穏健なドラマの枠内での<ワル>感、クレア=モリー・リングウォルドの「この頃はヒロインもこんなヘアスタイルだったんだよね」という感慨も。
ドラマの終わりは希望を持たせる、後味のいい風景。拘束時間が終わって出てきた5人は、〈あたえられてた肩書き=自分の本質〉じゃないんだ、と自覚して、いままで別世界の住人だった子との関係がめばえる。この物語では学校の外にある、学校から出たら直面するだろう、もっと容赦ない序列については1人に集約させて、それ以上は描かない。だからか、抑圧的な先生がいても、他の生徒がいない、がらんとした学校はどこかユートピア的なあたたかい場所に見える。「今が地獄なんだよ!」という『エレファント』とかとはそこが違うだろう。