豚と軍艦


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やっぱり日本人の顔は変わる。気のせいかもしれないが50年たつとやっぱり変わる。だって今、約50年前の、当時の長門裕之のような顔の若者はいない。下の世代ではあの手の顔はほぼ絶滅した。それからヒロイン吉村実子。四角い顔だ。ある角度から見ると美しい。しかしある角度から見るとあまりにもエスニックな顔である。あれも今はいない。すくなくともショービジネスの世界にはいない。でもこれを同じ時代の小津の作品とくらべると監督の立ち位置の違いがよくわかる。小津が選んでいる役者はいわば山の手顔だ。男も細面で鼻筋が通って、女優はみんな「女優顔」の美女。『豚と軍艦』の頬骨が張って四角い顔のモンゴリアン・フェイスの出演者たちとはあきらかに違う。

『豚と軍艦』は朝鮮戦争後の横須賀を舞台にしたヤクザもの。基本的に喜劇なので、出演者全員がそれなりに愚かで格好悪く、結局だれも上手くいかない物語だ。主人公のチンピラ、長門裕之もしじゅうわめき散らしてうまくやろうとするが、思ったほどヒロイックじゃなかったヤクザ世界の中で、堅気の世界と同じくらいぱっとしない未来しか見つからないことに気がつく。幼馴染の恋人吉村実子も、ヤケをおこしてぱっとした世界にいこうとするが、それはイコール米兵の遊び相手になることでしかない。
ヤクザも米軍とせこい商売をしながら豚を育てようとするが、肝心の米軍幹部にうまくだまされる。日本人相手なら好き放題できるヤクザもアメリカさん相手では無力なカモだ。2枚目ヤクザ役の丹波哲郎も、2枚目を保ちつつ物語のなかで1,2をあらそう間抜けさを見せる。そして最後は聖書のカタストロフのようにカエルならぬ豚が町中を多い尽くしてすべてをじゅうりんするのだ。リズムがよく、暴力的で、しめっぽいシーンはほとんどない。「哄笑」ということばがぴったりだ。

舞台の横須賀、ロケが多いから昔の町のすがたもたのしめる。当時のロケ地を今見てみると・・・ドブ板通りはもちろん健在。ラストシーンのJR横須賀駅も、まわりが高架の道路になってしずんでしまったがほぼそのままだ。長門裕之たちが住んでいる漁師町、安浦は今は沖が埋め立てられて公園とショッピングセンターとマンションの町になり、映画の中で死体があがった浜のあたりはヤシの並木がさむざむしいすてきな大通りだ。丹波哲郎が入院していた病院はちょっとわからないけれど、横須賀という町は規模にくらべておおきな病院がやたらと多く、あの映画にあったみたいな山の中腹にいくつか立地している。長門裕之と吉村実子が一気に駆け上がって軍港を見下ろす丘は、安針塚の上の丘のような感じだけど、すくなくとも一気には行けないところだ。でも公園の見晴台から映画みたいな雰囲気で基地を見下ろすことができる。ヤクザが豚を飼っていたのは海を見下ろす岬みたいなところだった。走水のあたりじゃないかという気がする。今もなんとなく雰囲気があるといえないこともない。

じつは今日、たまたま横須賀基地では米空母ジョージ・ワシントンを公開する日だった。基地のまわりはYナンバーの車がうろうろ。いまでもワケ知りの人は「横須賀で土建っていえば、そりゃヤ…」とかいう。日本人の顔は変わっても外国人からみればあいかわらずのオリエンタル。横須賀の本質も、この映画のころとたぶんそんなに変わらない。

結論。『善兵衛が時代に思いをはせる1作!』