女が階段を登るとき


<予告編>
ストーリー:夫を亡くして仕方なく入った夜の世界。圭子(高峰秀子)は人気の雇われマダムになっていた。お愛想がきらいで電話営業ができないから、オーナーが要求するほど売上はあがらない。彼女の下にいた売れっこホステスはパトロンを見つけて独立してしまい、ついでにお得意さんも何人か連れていった。でも実態は借金地獄、狂言自殺で借金取りを追い払おうとしたはずが、手違いか本当に死んでしまう。上客でありつつ金を貸し、ヒルのようにその子にはりついていた怪しい実業家は、平気な顔でまた圭子の店に顔をだすようになる。圭子のことがお気に入りの関西のお金持ちは独立資金を援助しようともちかける。東京の愛人にするつもりなのだ。彼を頼りたくない圭子が心を寄せているのは品のいい銀行員(森雅之)。とはいっても小心なサラリーマンが援助してくれる額なんてたかが知れている....そんな圭子を忠実なマネージャー小松(仲代達矢)が見まもる。嫌な男に言い寄られて突き放した圭子は、とうとう心労で胃潰瘍に倒れてしまう.....

こちらは脚本の菊島隆三オリジナル。1960年だから『花影』の1年前だ。おなじ「銀座の女」モノでよく知られているのはこっちのほうだろう。それにしてもよく似てる。話のトーンがほとんど同じだ。まぁ定型だよね。溝口も得意だった花柳界モノの現代版っていうことだろう。見てないけど、銀座あたりの夜の女の哀感話はいくらでもあったんじゃないか。華やかな見かけとうらはらの苦しい日々。主人公は明るくふるまっても影をしょっている。誘う男、執着する男、ささえる男、まわりにうごめく男たちの群像劇だ。ヒロインは時にはかわし、ときにはタンカを切り、ときには痛い目にあい....時代がほとんど一緒だからバーの雰囲気も似たようなもの。お客のネクタイ紳士の雰囲気もおなじみの昭和感だ。
ただこちらのほうがすこしだけ雰囲気は明るい。お話の救いのなさは似たようなものだけど、主人公が『花影』の葉子ほど破滅型じゃないからね。高峰秀子のふくぶくしい丸顔とポジティブ感あふれる眉毛で、いろいろ思い悩んでいてもどこか安心できる。それと仕事のパートナー小松もいる。小松は彼女のかわりに客のツケを集金に行ってくれたり、独立したいというと空き店舗をみつくろってくれたりする。悪ぶった台詞回しといい、ヒロインによせる純情といい、いかにも若い役者にあてた感じの役だけど、仲代達矢の甘さのないルックスのおかげでけっこう見られる。惚れられる役の森雅之は、まぁ俳優の格からいえば当然の役で、そんなに面白みもない。お客さんは2人が腐れ縁を演じた『浮雲』を当然ふまえて見ただろう。
ちなみに「女が階段を登るとき」とはお店に出勤するときだ。いろいろあっても上を向いて階段を登りながらリセットして仕事の顔になる。狭いけれど真っ直ぐの階段で、効果的に何回か映されている。

それにしても、さっきも書いたけれど夜の女モノって、必然的に男たちの群像劇になる。複数の男たちに擬似的にでもほれてもらわないと成り立たない商売だ。1人の男との純愛を描くだけじゃ物足りない。男たちは濃淡はあってもヒロインの女の部分に欲望をもってあつまってくる。そのアプローチの仕方もふくめた描き分けの巧みさがこういう話の分かれ目かもしれない。この話でいえば、男たちの類型は、悪役・醜男・色男・老人・年下で、色男=森雅之のポジショニングはわかりやすい。『花影』の場合、男たちがみんなヒロインの愛人だから、教授も若い男も青年実業家もそれなりにいい男風で、ゆいいつ田舎そだちの弁護士だけが醜悪に描かれる。共通するのは、ヒロインに露骨な性的興味をしめさない男が全編をとおして彼女によりそうのだ。性的興味の対象でありつづけなければならない夜の女にとって、そういう男がある種のやすらぎになる。だからそうとわかっていても小松は圭子への思いを口に出さずに、仕事のパートナーとしてふるまいつづける。ところが最後の最後で銀行員に嫉妬をむき出しにして思いを告白してしまうのだ。もちろんそれが関係の終わりになるだろう。
この話でも圭子のアパートがバーとならんで大事な場所になる。「月3万円で無理して借りている」部屋だ。このサイトによれば、1960年頃の民間の借家の家賃は1坪あたり250円くらい。1人用だったら10坪として2500円。この数字は東京都区部の平均だから都心で3倍としても7500円。3万円はけっこうゴージャスだ。映画に出てくる室内はまるでゴージャスじゃないけどね。でもベッドが置いてあるあたりがそれらしい。女が自力で維持する都心の家。『花影』でもそうだった、お妾さんや茶屋の女じゃなく、自分の空間に男をまねいて愛を成就させる、彼女たちの強さを表現するためにもちゃんとしたアパートに住んでいる描写は必要だったんだろう。この物語では圭子は東京に実家がある。佃島だ。今でも微妙に漁村のなごりがある佃だから、当時ならもっともっと濃かっただろう。2階建ての小さな家に兄の家族と母親が住んでいる。圭子は彼らに仕送りをしながらも、自分はそこには住まずに高い金を払ってアパートに住むのだ。