お茶漬けの味


<予告編>
ストーリー:妙子(木暮実千代)はお嬢さま育ち。見合いで結婚した茂吉(佐分利信)は長野の苦学生出身で、いまでは機械メーカーの部長。ちゃんとした家にはお手伝いさんも何人かいる。でも、三等客車や安いタバコや味噌汁ぶっかけご飯が好きな旦那が妙子はいつになっても好きになれない。女友達や姪と遊んでうさを晴らしていた妙子だったが.....
小津、『東京物語』の前年、1952年の作品。中流以上の、かといって退廃にはいたらない人たちの暮らしと、リアリティのない会社員ライフが舞台だ。お話はそうとう類型的で、ほぼ寓話。正直それほどぴんとこなかった。前半の妙子は一方的に旦那に愛想をつかしている身勝手な妻。遊びにいっても夫を見下げたギャグで周りを軽く引かせるし、家では夫の庶民的な振る舞いが気に入らなくてつんつんしている。戯画化された人物造形だ。女友だちも姪もどっちかというとお話のピースとして機能するキャラで、あまり人としての魅力は感じなかった。
妙子が最後までこの調子で、あげくに離婚でもしたら、観客としては共感のしようもない。そこは当然変化がある。起承転結的なおさまりのいい構成だ。ネタバレ避けるが、コメディテイストの話なので展開も簡単で、後味のいい終わりかただ。それだけにドラマドラマした感じですっと流れていってしまった感はある。
ただこの話、そこそこ地に足がついた感じで見られるのは、これはもう佐分利信のダイナミックレンジを狭めた演技の貢献だ。茂吉は妻にはいつも低姿勢で怒ることもないし、かといって大笑いも、慟哭することもない。いつも淡々として、微苦笑する感じで家にいる。そのなかで多少困ったり少し腹を立てたり、かすかに悲しんだりというあたりをちゃんと見せてくる。木暮実千代があけっぴろげで気分を隠さないのとコントラストを出すためだろうけど、あまり自分を(身体的にも)おおきく見せないふるまいで、不思議な軽さもあってじつにいいのだ。余談になるけど、木暮実千代が夫をうながすときにさりげなくボディタッチするのが面白い。セクシー女優だった木暮実千代の、(これとか片鱗が)その名残をなんだか勝手に感じてしまった。

お話自体はおっさん観客が納得しやすい世界で、庶民派のおじさんである茂吉は全編つうじてゆるがずニュートラルで、妻だけが成長する。おじさんは雪の女王なみにありのままでいいのだ。世界がちゃんとそのよさに気づいてくれる。しかも良識派のおっさん好みに、シメは微妙に教条的ですらある。ややデフォルメされた妻キャラにたいして佐分利信が抑制的でふつうなのも、結果的におっさん観客が仮託しやすくなっている。
さて、ネタバレ避けると言いつつ一番大事なシーンだけは紹介せずにいられない。2人がお腹がへってお茶漬けをつくるシーンだ。タイトルが『お茶漬け』なんだからばらしたっていいよね.....。それにしてもお茶漬けってつくるほどのものか?たしかにな! でも1950年代のこの夫婦、そこそこの暮らしだから、ふだんは女中が家事は全部する。2人にとっては自宅の台所はめったに入らないワンダーランドなのだ。ご飯の入ったおひつを見つけてよろこび、妻は一大決心でぬか床に手を突っ込む。ぬか漬けを切る妻のたもとが汚れないように夫が後ろから引っ張る。とにかくこのシーン、リアルの時間経過どおりお茶漬けの完成まで全プロセスを映し切るのだ。まさに夫婦の共同作業。それだけの時間をかけて心理状態の変化に観客をなじませる。このていねいな描写で、どことなく戯画化した前後の語り口にも実感がやどるだろう。
本作にでてくる笠智衆は、茂吉の戦争時代の部下でいまではパチンコ屋の主人だ。撮影は『東京物語』のすぐ前だけど、老けメイクもせず年齢なりの役どころで、めずらしくヒゲをはやしてなかなか格好いい。茂吉をしたう若い知人が鶴田浩二。もともと優男の二枚目だし、あっけらかんとした青年役の彼には後年の極道感、任侠感はまったくただよわない。鶴田浩二津島恵子とデートするラストシーンは赤坂迎賓館の前でロケ。フェンスとガードマンの詰所が特徴的だからすぐわかる。それ以外にもトンカツ屋にいったりラーメン屋にいったり競輪にいったり、妻のともだちはブティックめいた店をきりもりし、みんなで修善寺の温泉(ここですね)に行ったりとちょっとした風俗紹介もののテイストだ。