めし


ストーリー:結婚して5年、夫の転勤で大阪にやってきた三千代(原節子)はひたすら家事をこなすだけの女中のようなくらしに疲れ切っていた。夫(上原謙)は自分のほうをちゃんと見る気配もない。東京の姪(島崎雪子)が転がり込んでくる。叔父である夫が気に入っている姪は、ビッチなキャラクターで家庭内にもさざなみをたてる。夫もそんな姪には妙に甘いのだ。とうとう耐えきれなくなった三千代は姪の付き添いを口実に川崎の実家に帰ってしまう。母(杉村春子)は三千代の心情をさっして暖かく迎える。でもまわりは「早く大阪にお帰りなさい」というし、微妙に居心地が悪い三千代なのだった…….

成瀬監督のなかでも古典的名作というやつですね。1951年。おおきなプロットは『お茶漬けの味』とおなじだ。子供のいない夫婦、夫はひどい亭主じゃないが、妻はいまの関係にも生活にも不満がある。自由な価値観をみせる役で若い親戚の娘が出入りする。そして妻はぷいと家をでる….. この2つ、続けてみるとずいぶんと違っていて面白い。なんというか、描写の解像度がずいぶん違う気がするのだ。『めし』はじつに細かい。いやそんなこというと小津ファンに怒られるかもしれない。作り手はすみずみまで目を配って撮りきっているだろう。でもなんだろうな、演出の解像度というか、時間あたりの、とくに感情表現の情報量が多い気がする。


よくいわれることで、小津監督が聖女のように扱った原節子を、成瀬監督はリアルなキャラクターとして演じさせたという評がある。たしかにその印象ははっきりとあって、ひとことでいってこの映画の原節子はかわいい。表情がゆたかだし、こまかい感情表現があるし、キャラクターとしてもディティールがゆたかだ。怒り〜失望を表現すると基本的に無表情になってしまう原節子だけど、ここでは笑いのグラデーションで哀しみから失望から嘲笑からほっとした笑顔から、こまかく演じ分ける。『マイレージ・マイライフ』のジョージ・クルーニーみたいだ。
彼女の演技以外でも、旦那や姪の微妙なふるまいを小物の痕跡で三千代(本日紹介の3本とも役名や芸名で三千代や実千代がとびかってるな!!)が感じ取るシーンがある。というか、この映画、人物のクローズアップはないけれど、小物のクローズアップで語らせる撮り方が多いのだ。セリフもムダがなく、それぞれの役がそれぞれのエピソードで話すことばがちゃんと物語の理解に必要な情報をもたされている感じだ。

お話的には女性作家原作とはいえ『お茶漬けの味』とおなじく、夫はたいして責められる存在にはならず、当時のおじさんたちも安心して見られただろう。戦後まだ数年でかなりの階層の人たちが貧しかったんだろう。生活の苦しさと、旦那の立場に安住してるみたいな夫への不満で、「うちにこもってるだけじゃなくて、もっと私にはやれることがあるはず……!」というテンションで実家にもどった妻も、結婚できない同級生や、夫婦で店を切り盛りする妹夫婦や、戦争未亡人になって路上販売をする知り合いに会ううちに、じょじょに考えが変わって、そうか、自分ってそこそこ恵まれてるんだ、と気づかされる流れだ。「不満があった妻の(ある種)反省と改心」となると、『お茶漬け』と同じですよね。妻のすがたを悪い方向へひろげたキャラが姪で、彼女は男癖が悪いという別の設定ももっているけれど、結婚に懐疑的で、欲望に忠実でな存在だ。期日未定で転がり込んできた姪に嫌悪感をもっていた三千代も、実家に転がり込むと同じようになってしまう。そして鏡像であった姪がその実家にやってきて義弟に一喝されることで、自分の欲求も叩かれたような気になるのだ。
実家の母(杉村春子)、妹(杉葉子)、義弟(小林桂樹)がやけにいい。ほっとさせる場所の雰囲気をみごとに作り出している。大阪の近所の名も知らぬおばさんも悪くないし、その息子の異様に軽薄なボーイは大泉滉。リーゼントめいた髪型に「当時はこうだったのか……」という感慨があふれでる。それから、上原謙佐分利信ほど地蔵的存在じゃなく、彼にもいろいろあるようすが描写されて、三千代と対比されて描かれる。

大阪のロケ地は天神ノ森駅の近くだそうだ。オープニングのアングルなんてこれかしら。『わが町』でもあった大阪の下町風景だ。まだ占領下の日本だからふみきりに英語の看板を映している。観光バスでは中之島も写る。草ぼうぼうの荒地があるのが時代感。実家は南武線の矢向。途中で三千代が河原を歩くのはとうぜんの多摩川で、小田急線の鉄橋付近だそう。東京住まいのいとこと出かけた時の背景は上野の国立博物館表慶館だ。