愛がなんだ & 空気人形

■愛がなんだ

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<公式>

ストーリー:テルコ(岸井ゆきの)は会社づとめ。グラフィックデザイナーのマモル(成田凌)が生活のすべて。一緒に飲むし、象を見に行くし、お泊まりもする。でもどうやらマモルはテルコを彼女だとは思ってないらしい。分かっていてもテルコは一直線だ。マモルに「この人が好き」と年上の豪快姐さんを紹介されてもへこまずに彼女と3人デートを続ける。テルコの友だち葉子(深川麻衣)、彼女に惚れているナカハラ(若葉竜也)も絡み合い....

楽しく見ました。僕がこういう映画を見るときは、なんというんだろう、愛くるしいみなさんの生態を観察させていただく、ネイチャードキュメンタリーみたいな距離感になる。『勝手にふるえてろ』もそうかもしれん、この世界に重なる要素を無理に探すこともなくだれかに何かを投影するでもなく。

原作は読んでいない。テルコが愛し続けるマモルは「背が高く猫背」で「オレ、格好いい方とそうでない方に分けたら格好よくない側だからさ」という人だ。だけど映画だから、もちろん成田凌演じるかれは「そりゃ、惚れるでしょ」という相手ではある。むしろかれが格好悪く片思いする年上の豪快姐さんことすみれのキャスティングが妙にいい。

すみれ役の江口のりこ、『横道世之介』『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』に出ていたらしいけれど思い出せない。なんだろう、映画的にははげしく微妙になりそうだが、マモル役もこの感じに合わせたら(モデルあがりの格好いい役者じゃなく)、この片思いの連鎖もよりリアルになったかもしれない。そこへ行くともう一つの片思い、葉子にいいように扱われても惚れるナカハラ役の若葉竜也はいい。こっちは収まりがいいのだ。

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本作、ヒロインはわりと一貫していて、物語的に分かりやすく成長してみせたりはしない。でも描き方は明らかに成長させている。はじめは明確にバカで、自分の考えも断片でしか話せなかったテルコが、いつの間にか自分と自分の愛を相対化し、理路整然と相手をなじったり、いやに切れのあるひと言を差し込んだり、戦略的にふるまったりするようになるのだ。

彼女は成長してるんだろうか? それともただ何でも言うことをきくアホだと舐めていたら、いつの間にかある部分あやつられてる、そんなマモルの視点を観客に共有させてるんだろうか。おおきな何ごとかは起こらないこのドラマで彼女の、彼女と彼の変化の意外さがちょっとした緊張感を物語にあたえている。

ロケ地は世田谷の豪徳寺や、どうだろう、松原とかあの辺なんだろう。ほどよい場所なんだよね。居心地いい店もありつつ地に足ついた感じでお洒落すぎず。

■写真は予告編からの引用

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■空気人形

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<予告編>

ストーリー:秀雄(板尾創路)の家にいたラブドール。空気を入れる式のチープなビニール製だ。ラブドールがある日心を持った。そしたら自由に動けるようになり、話せるようになり、人間と見間違うくらいになったのだ。彼女(ペ・ドゥナ)はレンタルビデオ店で働くようになり、店員の純一(井浦新)にこころを寄せる.....

ペ・ドゥナが魅力的で、切なくもあって、音楽もいいし、撮影のリー・ピンピン(ホウ・シャオシェン作品やトラン・アン・ユンの『夏至』『ノルウェイの森』)の写す月島・佃島・入舟町あたりの風景も味わいがある。

ひょっとするともう一度見るともっと素直にしみ込むのかもしれない。ファンタジーであり寓話である、業田良家の短編ベースのこの物語は、漫画だと強引に納得させられるんだろうな、と想像できる。人形人形したヒロインが普通に街中で住民と話していても、業田のカートゥーン的な絵で描かれれば、それはそれだ。ただ実写映画になると、どうしても「監督はヒロインをどういうものとして描いているんだろう?」と余計な疑問がずっとぬぐえず、わりとクエスチョンマークが出っぱなしで来てしまった。

物語の最初にいた、どこからみてもビニール製のラブドールは、物語の中でも僕たちが見ているのと同じようにペ・ドゥナのルックスになったのか、それは観客に対してだけで物語の中ではビニールっぽいままで、じゃあ物語の中の人たちは半人間化したドールをわりと見慣れているのか、そのどっちでもないとしたら、周りの人は彼女が実際は人形だとどの程度分かってるのか......

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そこを真っ白にしてせつなさに浸るにはぼくの心は乾きすぎていた。いや、メタファーとしての彼女のあり方はよくわかるのだ。「私はだれかの代用品」彼女はいう。「私はからっぽ」。味わい深い老人が「わしだってそうさ」と返す。そう、僕たちもときには誰かの代用品だし、中身がからっぽに感じることもある。

監督が「一番エロティックなシーン」というあるシーンがある。メタファーとしてもよく出来てる。1人じゃ生きられないのだ。からっぽの「ここ」を誰か愛する人が埋めてくれれば..... それを「空気人形」の実際のあり方を使って表現する。意味的にもビジュアル的にもエロティックだし、印象に残るシーンだ。でも、その時の彼女はやっぱもろにビニールなの? 

物語は、ある意味ピュグマリオン的なのだ。だれかに作り出されたわけじゃないけれど、大人でありながらこの世に生れ落ちたばかりの、真っ白なヒロインが、だんだんと色んな色にそまっていくのだ。せつなく、ソフトで、ファンタジックかと思ってると、「えっ」という展開に至る。ラストは腑に落ちないままに切なさだけが残った。

ん?この感じって、夢の体験と似てる?

■写真は予告編からの引用

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