君たちはどう生きるか  

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宮崎アニメを前に劇場で見たのって.....恐ろしいことに『カリオストロの城』だった。評判になってからリバイバルを見に行ったのだ。劇場監督作でいえば第1作じゃないか.....でもひょっとすると劇場長編最終作かもしれないこの映画でも、第1作と同じように、主人公たちは石造りの城めいた建物の壁をよじ登っていたのだった。

宮崎がアニメ作家だけじゃなく、世界中の映像に関わるおおくの人たちに愛されてるのは確かだろう。「世界が認めた!」って日本スゴイYoutubeとかの定番で、〈世界〉という観念のあいまいさ(けっきょく欧米諸国のことだし)も含めてなんとも物悲しいワードだけれど、日本の映画作家でこれだけ知られてリスペクトされているのって、他には代表作が1950年代の三大巨匠だけなのだ。日本ではメジャー感いっぱいのジブリ作品は、実際はどれも濃密なまでに宮崎の作家性で塗り固められた作品だ。なのにその普遍性ってなんだろう?

物語を別にすると、一つはもちろん映像的な快楽だ。人のちょっとした動作や、見るからに美味そうな食べ物、アクションシーンの、人ができそうな限界をちょっと超えて見えるくらいのダイナミックな動き、それを見せるカメラワーク。飛行機や乗り物や飛行する物体の、物理法則をちゃんと感じさせる動き。実際には見たことがないはずのうにょうにょした何かの運動。

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それに傑出した空間感覚。高低差がある空間を舞台にして、その上下にシンボリックな意味を持たせ、登場人物が垂直の空間のなかで上昇したり落下したり、と思うと浮遊したり....という僕たちが夢で体験するみたいな独特のライド感を映像に入れてくる。この空間感覚や運動感覚を表現できる映像作家はそんなにいない(重力の感覚が弱いただの飛行や浮遊や落下ならあってもね)。宮崎は初期から明確にその感覚があって、表現のモチーフにしている。『カリオストロ』がまさにそうでしょう?(追記。この空間の扱いの原点といわれるのがこれでした)

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意識して現代の風俗から距離を取っているのも、長い時間、広い人々が入りやすい理由だろう。それと、宮崎の年代の文化資本に恵まれた人たちに共通の、根っこにある欧米文化への愛着、それがプラスに働いている気がすごくする。手塚治虫にもそれはある(高畑勲にあまり感じないから、世代すべてじゃないんだろう)。手塚は宝塚のリッチな邸宅で育ち、宮崎は航空機産業の経営者が親族で学習院にいくような子だ。

もののけ姫』『千と千尋の神隠し』は日本史や風俗をモチーフにしてはいる。でも日本らしき漁村が舞台の『ポニョ』だって、最近の他のアニメ作家がやるみたいに「日本の原風景」的な描き方はけっしてしない。想像だけど宮崎にとっては和風の木造建築よりヨーロッパの古城のような石造の建物や農家の小屋の方がすっと空間が思い浮かぶんじゃないだろうか。高畑と作った『ハイジ』の時代からそうだったんだから。

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さて本作である。だれでもいうように宮崎のこれまでの集大成だし、カーテンコール的にも見られる。かつ本人の自伝的な話でもある。だから上に書いたような「らしさ」が全面にあって、絵は今回アニメーター任せといっても宮崎の絵そのものだ。自伝パートの舞台は田舎の屋敷なのに、主人公たちがくらすのは別棟の洋風の家。そして物語のキーになるある建物は、もう時代性完全無視の完璧に洋風の図書館めいた塔なのだ。洋風好みが濃厚に見える。

ファンタジックなパートになると、宮崎作品のボキャブラリーが全開になる。テーマ的な話はしないでおこう。ここでは村上隆がツイートしていたみたいに、アルノルド・ベックリンの絵『死の島』がモチーフの一つになっている。そして大量の石の空間が次々にあらわれる。アーチが連続する廊下、鉄の門、すべてお馴染みのヨーロッパ風空間だ。

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via artpedia

『ポニョ』あたりからどんどん個人的表現の色合いが濃くなってきていた宮崎作品、本作ではリアルなはずの自伝パートでも表現主義的なデフォルメが夢幻感をたかめている。冒頭の災害シーンでは炎と人物の輪郭がにじむような描き方がされ、群衆もどこか不気味に描かれる。主人公が疎開する田舎の屋敷は、スケール感を狂わせて実際以上に巨大に描く。宮崎が疎開した宇都宮の家もかなり広大だったらしいけれど、はるかに巨大に感じさせる。そしてフリークスめいた老婆の集団。

逆に奇妙に淡白なのがファンタジックなパートのキャラクターデザインだ。本作はキービジュアルにアオサギがあるように鳥が重要なモチーフなんだけど、大事な鳥のキャラクターたちが投げやりにも感じるつくりなのだ。少なくとも共感を意図しているようにはまったく見えない(あとノーデザインともいえる群生もいる)。あの鳥たちはなんだろう。あちこちで言われるようにファンタジックパートの登場人物も宮崎が作家として何か仮託しているんだとしたら....かれらへの評価を、物語効果を超えてデザインに表したんだとしたら....なるほど本作も作家の表現なんだろう。

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*シーン画像はスタジオジブリウェブサイトから借用

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