オラファー・エリアソン 視覚と知覚


<公式>
デンマーク生まれの現代アート作家、エリアソン。2008年、かれのプロジェクトがマンハッタンで実現する。WATERFALLSという、イーストリバー沿い4カ所に人工の滝を作る、市をまき込んだビッグプロジェクトだ。クリストを思わせる、都市の風景にそれなりの規模の装置をインストールして都市そのものを少し書き替えてみせる作品だ。滝は鉄骨のフレームで作られてそれ自体は見るべきものじゃない。「滝」というけど見せたいものは水のみ、「落水」といったほうがいいね。
映画は、プロジェクトが立上がり、場所を選び、関係各所との折衝にくるしみ、やがて動き出して建設がはじまり….という時間を負う。その間にも各地のプロジェクトがあり、MOMAでの回顧展の準備があり、子供とのふれあいがあり、そしてカメラにむかって彼が語りかけるシーンがある。見ることとか、知覚すること、作品は、結局観客の知覚のなかで完成する、ということなのだ。それを簡単なテストで観客に見せる。ときどきウェブでもある、補色の残像とかね。あと面白いのは、「あなたはこの映像を自分の部屋で見てる? スクリーンはいっしゅのインテリア照明になるんだよ」と実験してみせる。

エリアソンのアトリエはベルリンにある。個人的な作家じゃないから、そこは企業であり工房だ。ルーベンスのころから大作の作家のアトリエはそうだった。彼のプロジェクトを管理するマネジメントのチームがいて、作品のパーツをつくるエンジニアたちがいて、エリアソンはあっちこっちで彼らと語り、ビジョンにむけてひっぱる。まさに社長だ。社長的作家。たぶん世の中には作家的社長もいるし、というか作家社長もいる。江戸時代の浮世絵師も大量の弟子を食べさせる社長だし、何十人もアシスタントをやとうさいとうたかおのような漫画家、それに手塚ー宮崎ー庵野的なアニメ製作。最近だと出版とスペース運営と表現活動を平行しておこなう東浩紀みたいな存在。

自分のビジョンを共有させ、その実現におおぜいの人をまき込み、それをビジネスとして回す作家性。作家性=自己表現というぼくたちにもわかりやすい世界で一枚絵を描く作家たちとは根本から違う部分がコアになっている気がする。