アクロス・ザ・スパイダーバース & ニモーナ & 犬王 〜アニメの多様性(色んな意味で)

■アクロス・ザ・スパイダーバース

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ストーリー:前作で「この世界」のスパイダーマンになったマイルス。ひさしぶりに再会した別の世界のスパイダーウーマン、グウェンはマルチバーススパイダーマンたちのグループにいた。マイルスはそこで衝撃の事実を知る。かれらはある宿命にしばられていて、それを破るとマルチバースが崩れだすのだ。そしてかれ自身、本来スパイダーマンになるべき人じゃなかった....

まずは表現の多様性。いまさらいうまでもなく、前作で衝撃を与えた[マルチバース=マルチな画風が画面内で同居する作風]の進化形というわけで、これはもう見てください以上のコメントは不可能だ。表現の多様性はさらに増して、現代ポップカルチャーだけじゃなく中世のドローイングだの1970年代末のグラフィックだの、ペイント系ソフトの”水彩”調画風だのが目まぐるしく、しかも一画面に併存する。そうそう、レゴムービーもあった。

全部は覚えていないけれど、背景になる都市の描写は(風景は違うけれど)水彩風シーン以外は、動き回る主人公たちの邪魔にならないよう、単純化した写真風でだいたい揃えている。人物の解像度は前回と同じで必要以上に上げず、動きのフレームレートもあえて低めにして、懐かしのJアニメ的なわかりやすいダイナミックな動きにしている。ここでぬるぬるした動きにするとたぶん気持ち悪いし、そもそものコミック感からずれてしまうし。

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前作からのマルチカルチュラル感は要素がつけ加わって、とにかく画面内の情報量が多くてぜったいに全部は見切れない。おなじマルチバースヒーローものでも、インディ風味がただよう『エブエブ』の「見立て」のマルチバースとはだいぶ違う、何も考えなくてもビジュアルで納得できるマルチ感だ。

ただ、キャラクターたちはそこまで多様じゃない。スパイダーマンというフォーマットにあるしばりを残している。スパイダーマンたちは一部恐竜や豚やパイロット的少女はいても、基本フィジカルエリートだし、たとえばお父さんとして出てくる警察署長はどこの世界でも胸囲120cm級のマッチョだ。人物のマルチ感でいえばドラえもんのような古典的日本マンガの方がむしろ振幅があるとさえいえる。

このシリーズの成り立ち、つまり1つの物語をさまざまな時代のさまざまな描き手が作ってきた歴史をマルチバースとして1つに凝縮していることを考えれば、とうぜんなんだろう。「多様な感性の作り手が1つのモチーフを表現する」という多様性へのトライだ。だからストーリーも、一連のシリーズの設定がこの宇宙の「宿命」としてあらわれて、物語の中にいるキャラクターたちがそれにどう立ち向かうのか?という風になる。

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■ニモーナ

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ストーリー:モンスターから社会を守る騎士の文化とハイテク文明が融合したある世界。アクシデントで反乱者の汚名を着せられ騎士から追放されたバリスターのもとにパンクな少女ニモーナが現れる。何にでも変身できてさまざまな力を持つニモーナは、かれがヴィランで、一緒にめちゃくちゃできるかと思ったのだが、バリスターは汚名をはらしたくて....

本作は登場人物の多様性がすごく現代風の、それでも子供OKのアニメーションだ。原作はグラフィックノベル。キャラクターデザインは生かされつつ、キャッチーに目をでかくして、アメリカのアニメらしくちょっと大仰な表情や動きで演技をさせる。CGはシンプルで、細かいテクスチャーの表現とかはしていない。正直いってこのくらいがむしろ見やすいし、無数の髪がそこだけ実写風になびく必要とか全然ないよね。

物語は、人間を超えた力を持つニモーナが、異物・怪物として社会から排除される、その傷ついた心と、同じく排除されている側なのに(人種的マイノリティでもある)、モンスターを倒す=正義という価値観でニモーナを受け入れられなかったバリスターが協力しあうことで理解していく、そして....的なプロットだ。さらっと見ればそんな感じで楽しめるだろう。「社会に怪物扱いされる主人公」ものは日本の古典マンガにもあった。鉄腕アトムだってそうだ。

ぱっと見はそうだけど、本作はノンバイナリーかつADHDを公表し、過去作でも子供アニメの多様性をアップデートしたND.スティーブンソンの原作で、わかりやすくセクシュアリティの表現も出てくる。ニモーナの異物性もジェンダーマイノリティの生きづらさの表現だとして語られる。本作は製作途中の中断のあとアンナプルナピクチャーズが引き受けてNetflix配信になった。アンナプルナはいわゆる「多様性」を物語の前提として描いたハッピーな学園もの『ブックスマート』も製作している。

少女の姿の時のニモーナは女の子のステレオタイプになりたくない感じで、女の子の姿でいなくちゃいけない時の息苦しさもセリフにある。でもキャラクターデザインはニモーナの女性性を否定しているようには見えない。本作ではオリジナルのメッセージは残しながら、「自分らしさ」を出すことの生きづらさを感じる色んな人たちにも通じた、間口の広い表現にしたんじゃないだろうか(原作読んでいないけれど)。そのせいかぼくには明白なかたちで残った同性愛の表現が少し浮いてしまって見えたところもある。

英語版はニモーナ役がクロエ・グレース・モレッツバリスター役はリズ・アーメッド。『サウンド・オブ・メタル』主演の人だ。


■犬王

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ストーリー:室町時代。平家滅亡の地、壇ノ浦の近くに育った少年、友魚(森山未來)は平家の呪いで盲目となり、琵琶法師として育つ。京の都の猿楽師一座のはずれもの、犬王(アヴちゃん)は異形の体を持ち、周囲から疎まれる。ある夜出会った2人はお互いの音楽と舞が強烈なパフォーマンスになることに気がつき、屋外でライブを始める。やがて彼らのステージは京の人々を熱狂に巻き込んで....

本作は日本最強のコンテンツであるアニメの、モチーフや作風の多様性をプレゼンテーションしようという一作なんだろうと思う。もともとメジャーなアニメ製作の現場のなかで表現を広げてきた湯浅政明監督作品だ。

能の草創期にいたという猿楽士、犬王。異端の琵琶法師、友魚と組ませて、絵面は日本の伝統文化を散りばめながら、今までにもあった時代劇アニメの枠からはみ出して、ポップカルチャーの成分を混ぜて見せる。ちょうど同じ時期に公開した『平家物語』が画風はアップデートしながら物語世界はオリジナルを守ったのと対照的だ。

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だけど、ぼくは期待したほど感動できなかった。本作はミュージカル。ストーリーもさることながら、音楽シーンで勝負しているということだ。ボーカルは主人公2人の声優、楽曲制作は大友良英。曲調としてはまあロックだ。画面上は和楽器で演奏しているけれどドラムやエレキギターの音も普通に入る。ステージシーンでは「当時も不可能じゃなかったはず」の照明が入り、犬王のダンスが展開する。

ぼくが入り込めなかったのは、そこで鳴っている音楽と、アニメーションで見せられるダンスに快感がなかったからだ。大友は楽曲制作で監督の意図が見えずかなり苦労したような話をしている。アバンギャルドな曲も作るし『あまちゃん』風のブラス音楽もやれる、劇伴の実績も多い大友だけど、友魚のクラシックロック風の曲は正直ふるくさく、退屈だった。アヴちゃんのボーカルは本作で初めて聞いた。これは確かに魅力がある。だけど犬王のダンスシーンに色気がまったくない。

湯浅政明はアニメで色んなダンスを踊らせてきた人だ。生身のダンスとは違っても見ていて楽しくなる表現はいくらでもあった。本作のこわばった動きはなんなんだろう。松本大洋デザインのキャラクターの描線との食い合わせもあまり良くなかったのかも知れない。犬王のフリーク的デザインとかは魅力があるんだけどね。本作でいうとセルアニメ表現がどこか足枷になっていたみたいに感じる。