インサイド・ルーウィン・デイヴィス


<公式>
ストーリー:ニューヨーク、グリニッジビレッジ、1961年。ルーウィンはプロのフォークシンガーだ。エージェントがいてレコードも出し、定期的にライブもこなす。でもギャラはろくに出ずレコードもたいした枚数じゃないのにほとんど在庫。家がないルーウィンは知合いの家を転々としてすごす。いきがかりで知人の猫をあずかって、いつものように転がり込もうとした友人のジェーンに「わたし妊娠したの。あんたの子かもしれない」と告げられる…..
「なにものにもなれない僕」が旅に出る。そして帰る。『ウィズネイルと僕』とおなじだ。あっちは役者、こっちはミュージシャン。でもこの映画、等身大懐かし青春ものじゃない。ふつうの男の日常のディティールが描かれているのに、コーエンらしく、妙に抽象化された雰囲気になり、しまいには何かの寓話のように手の届かないお話になっていく。『アメリ』『ロング・エンゲージメント』などの撮影監督、ブリュノ・デルボネルによるフィルム画面は、一分の隙もなく、沈鬱ともいえる、暗く、さむざむしく、彩度の低い世界を描く。日常のディティールはちりばめられていても、よき雑然さみたいなのがなく、どこか冷え冷えしている。そして『オー・ブラザー!』がギリシア神話オデッセイア』の翻案だったみたいに、この物語の旅もあきらかに冥界めぐりの道行きになっている。

お話の時間軸はラストの時間をファーストシーンにもってくる。そこから◯日前にもどって時間どおりに進んでいく。でもその構造はちょっと分かりにくい。ファーストシーンから次のシーンは、わざと時間的につづいているんじゃないかと勘違いさせるつくりだ。「◯日前」の字幕もないし、夜のシーンから朝のシーンにとぶから、ふつうは翌朝だと思う。ただ、たしか昨夜だれかに叩きのめされていたはずなのに、顔がきれいなので「ちょっとおかしいな?」と感じるのだ。
それにしてもこの環はなんだろう。この形式で多い、回想しているスタイルじゃないのだ。よくあるでしょう。どことなく哀しい現在があって、過去にもどるとイノセントで楽しかった日々があった、的な。そういうのじゃぜんぜんない。過去といってもちょっと前だしね。かといって、なにかの事件の発端にもどり、因果が巡って最終的にラストシーンに収斂していくタイプでもない。印象としては、ファーストシーンがあって、そのあと(じっさいには過去に)主人公はいろいろと現状を打開しようとあがくわけだ。ギャラの交渉に行ったり、妊娠したジェーンの責任を取ろうとしたり、レコーディングに参加したり、ステージに出してもらおうとしたり、別の仕事につこうとしたり。でもいろいろあったはずが、結局最初に見たあまりすくいがないシーンにもどっていってしまう。観客からすれば、出口なし感をうえつけられるだろう。
旅にはでたけれど、どこにも行けない。別の旅に出ようとすると、キャッチ22を思わせる「こっちをするにはこれをしなくてはいけない、でもそうするとこっちができない、よってダメ」みたいなルールに阻まれてそれもできない。文字通り迷路をさまよっているみたいなお話だ。ロケは多いけれど、すこーんと抜けた青空がでてくることもなく、地下鉄の闇や夜道のロングドライブ、うすぐらいライブハウス、全体に闇のウエイトが高い画面だ。迷路感を象徴するのがルーウィンが居候するあるアパートで、行き止まりになったものすごく狭い廊下に、向かい合わせに2つの部屋のドアがある。人生の行き詰まりをビジュアル化したみたいな空間だ。『バートン・フィンク』でもホテルの廊下が印象的だったのを思い出した。

そのループ感を強化するのが猫だ。猫は居候先の飼い猫で、ルーウィンといっしょに出てきてしまい、しかたなく連れて歩いていると、とちゅうで逃げ出してしまう。そのあとも微妙に違う猫に変化しつつシカゴの旅にまでついてきて、より冥界めいたところへ送り込まれたあげく、最後には帰ってきている。なまえはわかりやすく「ユリシーズ」だ。つまり『オデッセイア』の主人公名の英語読み。ルーウィンと猫、2人の冥界めぐりが重なりつつもずれた2つの輪みたいに話のなかにある。ちなみにユリシーズの飼い主はルーウィンを応援する老教授夫婦なんだけど、ルーウィンが彼の家に行くと、印象としてはそっくりで、でも違う夫婦ものがゲストで来ている。このデジャブめいた感覚もループ感をさらに強めている。
この映画の題材であるフォークソング、正直くわしくない。音楽的な解説は聖者、ピーター・バラカン師におまかせしようじゃないの。 この物語が実在のフォークシンガーの人生にインスパイアされていて、当時の唄を歌い、実在のライブハウスでロケをし…...というところは公式にも書いてあるけれど、ルーウィンが所属するレコード会社やシカゴで個人オーディションをするプロモーター、ルーウィンがバイトで参加するレコーディングのプロデューサー、それからフォーク仲間たちも、みんな実在の人物をアレンジしてあるそうだ。音楽プロデューサーはT−ボーン・バーネット。当ブログでは渋いカントリーの世界『クレイジーハート』でも主題歌を書いている。コーエン兄弟だと『オー・ブラザー!』。レコーディングシーンは、いわゆる一発録りで、3人のミュージシャンがギター弾き語りで1曲キメる。昔はみんなそうだったといわれればそうだけど、映画でもここは切らずに撮っていたんじゃなかったかな。

ちなみに、黒髪ストレートのキャリー・マリガンさんは相変わらずかわいいんだけど、主人公にたいしては「てめえ妊娠させやがった(かもしれない)な」という立場なのですごく言葉がきたない。というかFワードの連発だ。あれってさ、だいたい何年頃からふつうに使うようになったんだろうね。『ウィズネイル』でも60年代の若者たちは普通につかっている。『ウルフオブウォールストリート』みたいに怒ってもいないのにふつうに会話にまぜるのはもっと後年じゃないかという気もするが……...