ノルウェイの森


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原作はハードカバーの時によんだクチだ。もちろんそのタイトルに、延々と続く、さむざむしい針葉樹林の光景をかぶせていた。つまり、Norwegian Woodが誤訳だなんて知らなかったのだ。けれどそれほど好きな小説でもなかった。作家の妙な自己愛が主人公に投影されすぎているようで嫌気がさしたのだ。主人公は無口で、社交的でもなく、これといった取り柄もなく、といった具合で決して露骨に持ち上げられているわけじゃないけれど、突き放されているかといえばまったくそんなことはない。周囲の魅力的な人物たちが「なぜか」放っておかないのだ。男性も、もちろん女性も。理由ははっきりしない。主人公はどちらかといえば受身で、他人に受入れられるためのたいした努力はしない。それでも「あなたには、気がついていないだけで特別な魅力がある」というようなセリフで彼は肯定される。こんなセリフが「ノルウェイの森」にあったかは覚えていないが、ある種の村上春樹的類型といっていい。キャラクター的には無色で、これといった能力とも努力とも無縁だが、かといって必要以上に惨めな存在でもない主人公を、なぜか周囲が求めてくれる。おまけに今は見えていないポテンシャルまで暗示してくれる。いやしを求める読者にとって、こんなに気持ちよく自己投影できる主人公もないだろう。
そんな彼を、おなじみのリアリティのないセリフ回しが彩る。今回の映画化でも、特に主人公のハルキ的セリフ回しが印象に残るが、インタビューを見ると、これは監督の意図というより、主演の松山ケンイチの提案だという。その思いははっきりとはわからないけれど、非常に正しい勘だといわざるをえない。彼はリアリティのある存在ではいけないのだ。緑役の水原希子も60年代風とも評される早口の平板なしゃべりで、いつも口角をあげたアルカイックスマイルに包まれていて、物語上当然想像される感情が演技にあらわれてこない。結果的に、特にこの二人の「セリフを読んでいることに自覚的」で、「観客にも常にこれがセリフであることを意識させる」意図さえあるように見える演技が、独特の効果を生んでいる。映画はあくまでストレートにストーリーを追っているのだが、結果的にストーリーから少し浮遊したような、独特のメタフィクション感ともいうべき空気がただよっているのだ。これが日本語ネイティブでない観客にも共有される感覚なのかはわからない。しかし、60年代後半の日本にしてはたぶんお洒落すぎる美術もふくめて、うまく無国籍、無時代的な、どこか寓話的な映画になったと思う。ぶっちゃけ、この主人公はやはり物語というゲームのプレイヤー的なのだ。適宜報酬があたえられるとこも含めてね。

直子役の菊地凛子の演技はちがう。彼女は精神が壊れていく女性をリアルに表現しようとする。序盤のかぼそい声はむしろ作った声に聞こえ、おかしくなってからの絶叫がはるかに彼女本来の演技のようだ。骨格がしっかりとして肉体的にも存在感がある彼女は、この3人のなかではきわだってリアルな存在になる(『トニー滝谷』の宮澤りえとの違い!)。結果的には本来のキャラクターとしては、生きていながら半分異界に足を踏み入れてしまい、いわば半透明になっていたはずの直子が、もっともずっしりとした実在感を放つ、という皮肉なことになっている。もちろん菊地凛子も役柄を理解して直子のかぼそさを懸命に表現しているので、破綻にはいたっていない。ちなみに監督は二人のヒロインより、脇役のハツミさんという女性に一番興味を引かれたと語っている。主人公の先輩の彼女なのだが、そのせいか、彼女が出てくるたった1回のシーンでは、十分に演技を見せられるように長回しで撮り、それに応えたハツミ役の初音映莉子の怖い美女演技もすごくいい。

撮影については、トラン・アン・ユンらしい室内シーンが特徴的。『青いパパイヤの香り』でも多用していた撮り方だ。室内を写していながら、窓の外の風景に季節や空気感を語らせるような撮り方。窓の外にはみずみずしい緑が配置され、やわらかい外光に照らされて、人物は逆光気味に映る。室内と生命感あふれる外の空間がつながった意識がつねに感じられる、とても好きな撮り方だ。主人公と直子の最初のラブシーンでも、屋外の夜景をブルーの光で表現し、エロチックなシーンにありがちな赤系のライティングでなく、人体もブルーに染め上げている。かさなった二人の後ろには常に窓の外の雨の風景が映り込む。
そして直子のいる療養所の風景も、高原の草原を画面一杯に取り込み、人物はそのなかに埋もれるように動く。夏にハッピーな時間をすごした二人だが、季節が下るにつれて直子の病状も悪化し、周囲の風景は雪と黒々とした冬枯れの木だけの色のないものになる。命が失われていく象徴として分かりやすすぎるくらいの自然の使いかただ。冬の樹林の撮り方もきれい過ぎずシャープで、とても効果的。
映画全体で、ケチをつけるとすれば、やはり長編のストーリーを映画の尺におさめるための、ちょっと性急なシーンの移り変わりだろう。特に序盤はその印象が強かった。それにしても初音映莉子はもっと売れてもいいんじゃないかな。古典的美女すぎるんだろうか。