聴覚をめぐる2本 CODA  & サウンド・オブ・メタル

■CODA あいのうた

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ストーリー:ルビー(エミリア・ジョーンズ)はボストン近郊に住む漁師の娘。両親と兄がろう者で彼女だけが聞こえるCODAだ。漁を手伝い、通訳をし、家族を助けてきた彼女。高校の合唱部に入部したルビーは意外な才能を先生に見出される。歌う喜びに目覚め、音楽を目指したい彼女だけれど、苦しくなってくる家業を支えなければ、という板挟みのなかで.....

メジャーな映画でも「作られ、公開されることに意義がある」タイプの作品ってある。社会の公平性を訴えたり、声をあげられない人たちの声を広く届けたり、見えにくい問題を白日の元にさらしたり。本作はCODA=ろう者の家族の中で聴力がある子供が題材。本作がなければこの言葉知らなかったし、そういう映画群の1つかと思っていた。もちろん意義も効果もあったと思う。でも見た人ならわかる通り、本作は「笑って泣ける」王道娯楽家族映画そのものだ。

本作はどっちかというと、広く楽しんで感動できるストーリーのモチーフとしてCODAを取り上げる(つもりでリメイクした)方だろう。ただし、今こうあるべき作り方を最大限誠実にやり切って、題材を安易に感動のネタにせず、「作られる意義」もちゃんと持たせることに成功していると思う。キャスティングも、制作準備も、描き方もね。

CODAである主人公の悩みやコンプレックス、好きな家族でも時々うんざりしてしまうあれこれは、知らないぼくたちも見落とさないように丁寧に伝えられるし、ASLという手話言語の表現力が、喋れる彼女にとっても大事なものなんだ、というすごくいいシーンがいくつかある。実在のCODAの人たちの感想も、目につく限りでは割とポジティブだ。

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(c) vendome pictures LIC, Pathe films and appleTV+ via apple.com

ただ、聞こえない人はどう感じるのかな、とは思った。音楽のすばらしさ、音楽と出会うよろこびは本作の大きなテーマの1つ。『シング・ストリート』や『音楽』と同質だ。初々しい高校生デュエット、主人公が初めて歌を人に聞かせた時の満たされる気持ち、それにもちろんクライマックス。この素敵なシーンはサウンド込みだ。BGM使いも。彼女の日常描写にThe ClashI fought the lawが重なるところでいやにじーんとしてしまった。

聴覚に難があっても、音楽が全く楽しめないとは限らないらしい。程度があるんだろうと思う。本作のろう者の家族たちは音楽自体わからない。ヒップホップの重低音を感じられるくらい。全体すごくいい話なんだけど、嫌な言い方をすれば「こんなにも多くの人たちが心を震わせている素敵なものを知らない人たちがいました。でも娘の勇気のおかげで知ることができたのです」的な恵みの話にも取れてしまう.....ま、もちろん大きなテーマは、夢を持って家族から自立していく子供のお話だし、そこは聴覚関係なく普遍なんだけどね。『ハーフ・オブ・イット』とか『レディーバード』に近いものを感じる。

物語の舞台はボストンから60kmくらいのGloucesterRockportといった美しい海沿いの街。娘が夢見るバークリー音楽大学までは車で1時間くらいで行ける。東北部だけあって、夏のシーンでもどことなく涼しげだ。日本で言えば仙台の大学に通う娘を送り出す、石巻の家族くらいの距離感だ。

 

 


サウンド・オブ・メタル

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ストーリー:メタルのバンドのドラマー、ルーベン(リズ・アーメッド)はパートナーのルー(オリヴィア・クック)とバスで暮らしながらノマド生活を送っていた。ある日ルーベンは急速に聴覚を失い始める。バンドは続けられなくなり、自暴自棄だった彼はろう者のコミュニティで暮らすことになる。たった1つの希望は聴覚を取り戻すインプラント手術があることだった....

『CODA』に比べると本作は聴覚障害にフォーカスして、観客に「聴覚障害」と言われるものがどんなことなのか体験させる、という明確なテーマがある。ドラマはとてもシンプルだ。聞こえていた人が聴覚を失って、やがてそんな自分と生き始める、激変の瞬間だけを描く。そういう意味ではコンセプチュアルでソリッドな映画だ。

『CODA』みたいな心地よさはない。主人公は聴覚をなくすことで、音楽も、パートナーも、自分を守ってくれていた大事なものも失う。喪失の物語だ。細かい部分を忘れてしまったけれど、家族の姿もないのだ。

かわりに彼を受け入れるのがキリスト教系慈善団体の、ろう者コミュニティだ。子供も大人も共同生活を送る。食事も寝るところも用意される。彼が自分ができることでコミュニティに貢献できれば、穏やかな笑顔に包まれる。その代わりスマフォもPCも、外部との連絡は基本奪われる。このコミュニティは聴覚がない人を外部の社会にアダプトさせようとしていない。アーミッシュじゃないけど、一種の文化集団として外部から隔絶した穏やかな世界の中で生きるのだ。

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本作はサウンドデザインで勝負している映画で、聴覚障害の擬似体験は『CODA』の無音みたいなシンプルなものじゃない。聞こえにくくなるところから、ろう者となって、人工内耳を付けた時の聞こえ方まで、音響効果のニコラス・ベッカーによって、シーンごとにサウンドをつくっている。それが観客にとって主人公の感情を共有する最大のキーなのだ。主人公が隔絶されずに社会にアダプトしようとする時に聞かなければならないサウンド。説明しなくてもその困難さがストレートに入ってくる。

どうでもいい話として、パートナーのお父さん役はフランスの名優マチュー・アマルリック(『フレンチ・ディスパッチ』『毛皮のヴィーナス』etc.)で、彼の都合なのか、お父さんが出てくるシーンだけベルギーで撮影している。ストーリー的にはアメリカの街のはずなのに、どう見てもヨーロッパの街並みなのが味わい深い。

 

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