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音楽モノドキュメンタリー。90年代くらいまでのポピュラーミュージックをささえたバックボーカリストの物語だ。アメリカではレコーディングでもライブでも不可欠だったし、イギリス系ミュージシャンの曲にもソウルフルな女性ボーカルの声が入っていたりした。で、基本的に彼女たちはアノニマスな存在だ。レコードやCDのジャケットにはクレジットがあるかもしれないし、ライブでは名前くらい紹介されるかもしれない。でも彼女たちは黒子だ。メインのボーカルを引き立てるために歌う。それはどうやらメインのボーカルとして、自分の名前で歌うこととはそうとう違うことらしいのだ。
原題は『20 feet from stardom』。ステージでメインのボーカリストとの距離が6mくらい。この距離が越えられないんだ、という意味。バックボーカリストとして実力が認められていても、メインボーカリストと1:1でかけあいをするくらいの人でも、ソロデビューして、2枚目、3枚目とアルバムを出して、活動を継続していくのはそうそうできないことらしい。スティングがインタビューでちがいを語っている。ほかの表現活動でも、いやビジネスでもたぶんいえることだ。ようするに上手いだけじゃダメ、ということ。他の人を立てるためか、自分自身をきわだたせるためかという違いだ。それから性格的な強さ。おなじステージに立っていても、バックボーカルの立場は気楽でたのしいものらしいのだ。プレッシャーだって少ない。でも心地よさの中にいちゃだめだということ。「自分」がどれだけ濃いかっていうことだよね。もうひとつ。そう、運。そんなもろもろの「なにか」があるかないかということ、その差が6mという距離なのだ。
本作で紹介されているのはほとんど全員アフリカ系アメリカ人の女性。実情がそうなのか、映画として単にとりあげたのがそうなのかはわからないけれど、多少うーんとなることではある。とにかく彼女たちのほとんどはありあまる実力と実績があって、ビッグミュージシャンのステージにレギュラーで呼ばれているのに、自分のソロ活動はそろいもそろってぱっとしないのだ。でも、いうまでもないことだけど「音楽」というものとはじゅうぶんに仲がいい人たちだ。音楽を愛しているし、音楽にも愛されている。だから基本的にポジティブな印象でまとまっている。
映画として見ると少し物足りない。作り手は、感動はストーリー自体にじゅうぶんある、というスタンスだ。だから映像そのものにとくに力を持たせようとはしていない。絵的な感動もないし「生」のできごとがない。ようするに映像そのものにエモーションみたいなものがぜんぜんないのだ。
映像は基本的に2種類。過去のライブ映像と、インタビューのシーンだ。ライブ映像は、そのミュージシャンのファンだったらたのしいだろう。ぼくだってそれなりには楽しんだ。古いところでいえば若い頃のデビッド・ボウイとか、デビューからそんなに経っていなさそうなトーキング・ヘッズとか、ちょっと面白い。でもそれはやっぱりアーカイブから見つけてきたものでしょ?
インタビューは、ビッグネームたちがバックコーラスについて語るというおもしろさはある。ミック・ジャガー、スティング、ブルース・スプリングスティーン…...けっこうな人たちだ。それにバックボーカリスト本人、関係者。アメリカのドキュメンタリーによくある絵面だ。暗い背景がぼやっと写っていて、語る人はおちついて座った状態、日本のTVみたいな芸のないライティングじゃなく、ほどよい感じで陰影のある顔をみせる。インタビュアーが誰なのかははっきりしない。語り手の想定をはずれるような質問をするわけでもなく、語り手が話しながらエモーショナルになるわけでもなく、ドラマチックなことはなにもおこらない。
この映画、第86回アカデミーで長編ドキュメンタリー賞を受賞している。題材、取り上げた人、そこでかたどって見せた音楽業界の一断面と、彼女たちの人生、たしかに「なるほどね…..」と思った。いままでほとんど光があたっていなかった世界だったとすれば、それだけでもじゅうぶんな意味があるだろう。90年代くらいまでのポップソング、ロックが好きなひとだと音楽のシーンもインタビューも楽しいはずだ。ただし、特別なドキュメンタリーがもつ、独特の生々しさ、なにかを目撃してしまったみたいな衝撃はない、そんな映画だ。