希望の国


<公式><予告編>
ストーリー:架空の、だけどこのうえなく福島っぽい県「長島県」で巨大震災が起こる。福島とまったくおなじように原発が被災し、水蒸気爆発がおこり、内陸部までが放射能で汚染された。主人公の老夫婦の家の広い庭を縦断するように避難指示区域のバリケードが張られる。若い息子夫婦を安全な街へ送り出し、痴呆症になった妻(大谷直子)と2人でがんとして残る主人公、小野(夏八木勲)。しかし汚染状況は深刻化し、かれの家も避難が迫られる。安全な街に移動したはずの息子夫婦も、放射能の恐怖におびえながらくらすのだった。
公開は2012年。まずこのスピードに驚嘆するね。どうしてもその時期につくりあげなければいけなかった、という園監督の突っ走る力にも敬意をもたずにはいられない。舞台になってる街は冬の景色だ。つまり2011年の後半から2012年の撮影だろう。そのまえに、もろに原発被災地近くの南相馬市で取材している。避難指示区域じゃなくても、まだふつうの人はほとんど立ち入らない時期だ。
シン・ゴジラ』は、3.11と原発事故に対応する官僚たちを「こうあってほしかった」姿で描く映画だった。市民はあえてまったく登場しなかった。本作はその市民側が主人公だ。バリケードを張り、市民を避難所に送り出す警察や自衛隊はまったくコミュニケーションの対象外として描かれているし、多少話がつうじる役所の担当者も「おまえが1人で残ってるから、おれたちまで危険なこの場所に何度もこなくちゃいけないんじゃないか」と思っている。
主人公の老人は、立ち位置でいうと『サウルの息子』の主人公と少し似ている。客から見ればもっとクレバーに立ち回ればいいじゃないか、と役所の職員じゃないけど、思えてもくるのだ。でもかれには不動の思想・信条がある。それをはっきりと言葉にはしない。でもかれはこの場所に、牛も飼っている(みんな被ばくして殺処分の対象)自分の土地に殉ずるのだ。

この映画、一見の印象は「なんだか黒澤明の映画を思い出すなあ」。『生き物の記録』と近いとそもそも言われているけれど、雰囲気もどことなく似てるのだ。『シン・ゴジラ』が岡本喜八市川崑の語り口を取り入れてるのと対照的にね。どこがだろう。不思議な寓話性、どことなく象徴劇みたいなところ、リアリティよりエモーショナルな誇張がはいった、多少おおげさな演技。園作品に時々出てくる、漫画的なはちゃめちゃ芝居は今回まったくない。でもさりげなく繊細に描かれてる映画じゃない。いつもの園作品とおなじように、やっぱり作り手が大声で叫んでいる映画なのだ。
ただ…….やっぱり舞台は架空の県じゃないとうまく描けなかったのかね。観客からすればどうみても福島だ。メインのロケ地は埼玉の深谷気仙沼だけど、映像の中にははっきりそうとわかるように福島県楢葉町が写る。状況だって、監督が取材した事実をドラマに配置しているから、起こっているものごとすべてて福島の出来事なのだ。でも、物語上は〈福島の事故の反省もなく、また同じような事故をおこした日本〉だ。ここは正直おさまりが悪く感じた。監督は「福島のことに限定したくなかった、だから被ばくした3県、長崎・広島・福島の名前が入った地名にした」といっている。
ぼくは「福島であったこと」として見た。もちろんそれは振り返ればいいだけのことじゃなく、形を変えて日本の他の場所に迫ってくるかもしれない状況ではあるだろう。