6才のボクが大人になるまで


<公式>
ストーリー:6歳のメイソンは姉のサマンサとママ(パトリシア・アークエット)と3人暮らし。少し前に別れたパパ(イーサン・ホーク)がすこし恋しい。ママはヒューストンに引っ越して大学に入り直し、人生をリスタートすることに決める。働きながら、子育てしながら、男もちゃんと捕まえるママ。だけどなかなか当たりを引かない。3度めの離婚と何度目かの引越をするころにはサマンサもメイソンも高校生になっていた。週末を一緒に過ごすパパにも、新しい奥さんとこどもができていた....

なんともいえない味わいだ。読後感(観後感?)はすごくいい。12年かけて撮ったという特別な映画だけど見る側に特別な構えはいっさいいらない。長さ(3時間!)さえ耐えられればほぼだれにでもおすすめなんじゃないだろうか。
染み入るような映画だ。極端なことは(1つくらいしか)起こらないし、辛くなるような感情のたかぶりもほとんど描かれない。そこは省略される。淡々とした会話や、ちょっとした冒険や、軽いいさかいがぼくらの日々みたいにつづく。でも退屈するところもダレる感じもないのだ。たぶん「行間」がとてもゆったりと豊かな語り口だからだろう。毎夏の撮影のあいだの1年もそうだし、短い撮影期間で語りきれていないエピソードもそうだ。物語が普通なぶん、観客はそれぞれにじぶんの物語で行間を埋められる。
家族はそれなりに大変なはずだ。離婚したパパがまともに援助しているみたいには見えない。後の旦那もいろんな理由でママを楽にさせてくれない。一家には金銭的な余裕はあまりないのだ。子供は子供でなんどもとつぜん転校させられて、どんな目にあってるか知れたもんじゃない。でも監督は断固として辛そうな空気をただよわせない。
基本、毎年夏に撮っているから陽射しは明るくあたりは暖かそうだ。テキサスの田舎町や郊外住宅地は実体はどうあれゆったりした芝生と街路樹の街並みをみせる。日々に辛いことはあっても、週末には楽天的なパパが忘れさせてくれる。だいたい2人の子供たちがものすごくいい子だ。少年らしい冒険くらいはしても、まずいことは一切しない。思春期になっても、ママのこともパパのこともうっとうしく思ってるようすをまったく見せないのだ。娘なんてさ、中学生になってパパから「FBに載ってたあの男、カレシか?」なんて詮索されたら「うっせえよオヤジ死ね」みたいになりませんか。でもサマンサは「やめてよー」とはなってもそこは許す。ボーイだってそうだ。

つまりそういう風に描きたかったんだろうと思う。この話は希望に満ちている。離ればなれでも家族は思いあってるし、すこやかに成長する2人の子供はもちろん、12年のあいだに相応に年をとった両親も、それぞれに将来の展望をもってラストシーンをむかえる。彼らに希望を与えてくれるもの。それは、映画のなかではっきりとしめされる。「教育」だ。
とくに大学教育だ。「なぜ?」と思うほど大学に行くことが彼らに希望と喜びを与えてくれるのだ。べつに目的なわけじゃないと思うけれど、EU内の留学制度賛歌『スパニッシュ・アパートメント』を思い出した。この話に一貫して救いがあるのは、ママがキャリア形成に成功して、大学教員として働きつづけている(ように見える)ところもでかい。100均ショップでレジを打つ『フローズン・リバー』のお母さんとは違うのだ。子供たちはバイトして、奨学金を得て、州内だと学費が半分以下になる州立大学に行く。大学に入ったボーイには素晴らしい日々の予感しかない。テキサスのサル・ロス州立大学だ。ちなみに監督リンクレイターはテキサス州立大学オースティン校の出身。ウェス・アンダーソンも卒業生だ。

それにしても、パパ役イーサン・ホークはいい。ホークは少しおっちょこちょいで軽い男の役がうまい。『その土曜日』のアホな弟役もひじょうによかった。ホークは親友であるリンクレイターが万一12年間の撮影中に倒れたら、あとを引継いで完成させる約束をしていたそうだ。『ビフォア』シリーズといい、リンクレイターとの出会いは、ほかの名優にも出来ない経験をさせてくれた、特別な出会いなんだろうね。しかしあの父はおいしいよな。育てる苦労は別れた妻が一身に背負っていて、じぶんはいうなれば「たのしい叔父さん」役なんだからね。子どもはいい顔見せる。この父像は『キッズオーライト』の精子ドナーとほんとによく似ている。たのしい存在だし魅力的だけど、それは責任を負っていないからなのだ。
ママはそうはいかない。必然的に老ける。それも込みの物語だ。監督はママ役のパトリシア・アークエットに「お直し」はしないでねといっていたそうだ。12年かけてわざわざ撮っている意味をなしにしないためにね。それに応えてママはみごとなエイジングを見せる。